"死"はタブーなのか?

今日の午後は"生老病死"をテーマとする公開講座に参加した。講演の内容自体も久しぶりに聞くお話で、色々と考えさせられたけれど、質疑応答が非常に印象的だった。

特に印象に残ったのはふたつ。まずひとつめは高齢の参加者から"自分のように高齢でも臓器移植(に提供)できるのか?"という質問。ふたつめは、同じく高齢の参加者から"検死に登録したいけれど、学生さんに役立つために気をつけておくことはあるか?"という質問。両方ともご自分の"死"を前提にされていることであり、当たり前だけど、お年寄りにとっては自分の死ということはとても身近な話題なのだ。

一方で、終了後に会場に参加していた高齢者とその介護者の会話が耳に入ってきたのだけど、おそらくそのお年寄りがご自分の死について何か話されており、20歳代の若い介護者は"そんなこといっても私が先に死ぬかもしれないわけだし"と応えていた。その後、どのような応答があったのかはわからないけど、思い返してみれば自分自身も10年前の入職当時には同じようにしか応えられなかった。でもその返事は、相手が自分の死について語ることを受容しているようで、拒否しているのではないだろうか。

多分、死について自由に語れる環境をつくることというのも高齢者福祉施設に求められる大切な要素なのかもしれない、と改めて思ったのだった。