ケアプランの肝

今日は介護支援専門員専門研修2の2日目で、欠席すると資格失効になってしまうので、頑張って参加。今日の内容は演習で、ケアプランを持ち寄ってお互いに検討することになっていた。各資料を7部ずつ持参することになっており、昨夜は相方氏がコピーを手伝ってくれた。多謝。

久しぶりにケアプランと向き合って気がついたことは、ケアプランの肝は文章力というか表現力ではないか、ということ。同じ内容を書くにせよ、書き方や表現によって受け取り方は大きく異なってしまう。介護支援専門員(ケアマネジャー)はみんなそれぞれに基礎資格をもっており、アセスメントはその基礎資格によって影響を受けるというのはよく聞くことだけど、いずれにせよ何らかの専門的な視点によりニーズを分析し、目標を設定し、サービスを調整している。問題はその目線自体というよりも、どう表現するか、どう伝えるかのように思う。その点に無自覚なために損をしている場面というのは、ケアプランに限らず、非常に多いのではないだろうか。

今日の研修では有料老人ホームや他の特養やグループホームで働くケアマネジャーさんと一緒に演習を行い、他の施設の様子を聞くことができた。事例として持ち寄った利用者像やそこで展開されている援助内容からは、施設種別による施設機能の差というのは実に小さくなっていることを実感した。また今回の課題は"困難な事例を持ち寄ること"だったのだけど、その困難さの原因として共通しているのは、"家族"と"認知症"と"食事"の三点に集約されていた。

"家族"というのは、家族がいない、またはかかわりを拒否している場合。特に加えてご本人の認知判断能力が低下した際に、その問題は顕著になる。勤務先法人の場合には、おそらく自治体(保険者)の高齢者福祉の担当課などと連携して対応していると思うけど、小さい事業所や介護保険制度以前の蓄積がないケアマネジャーだと抱え込んでしまい、行き詰っていることが多い様子。"認知症"は、いうまでもなく。ただ例えばスウェーデンでは認知症自体の理解を深める研修や教育に重点が置かれているのに対して、日本では認知症に対する正しい知識や対応についての理解を持たないことが、"対応困難"の理由になっているようにも思えた。"食事"は、結局食事が摂取できないと体力と身体機能が低下してしまい、疾患も進行してしまう。高齢者に限らず、私たち自身の生活においても食事は全ての基本だと改めて確認した。だけど、栄養士さんの配置のないグループホームや、栄養計算や食事の調理を外部委託にしている施設の場合、食事を含めたケアを提供することが非常に難しくなり、生活の基本に対する適切な援助が大きく制限され、四苦八苦している様子。人件費やコストの点から、調理の外部委託している施設が非常に多いなかで、勤務先法人があくまで法人の職員が施設内で食事の用意(調理)をすることにこだわり続けている理由を実感として理解したのだった。