プロジェクトの軌跡

ムスメには第一志望校が2校あった。A校は、彼女が小学5年生の秋に受験することを決心したときに、わたしが選んで最初に学校説明会に一緒に参加し、先生方が生徒を心から信頼している様子をみて、ムスメ本人も”ここに来たい”とひとめで志望を決めた学校だった。とはいえ偏差値的には少々厳しく、模試の合否判定は30%を超えたことがなかった。B校は、自分の時代のイメージから当初は全く眼中になかったけれど、模試の会場として偶然に説明会に参加し、彼女がのびのびと6年間を過ごせそうだと思い、ムスメ自身も大好きになった学校だった。その後も何度も何度も足を運び、先生方ともすっかり顔見知りになっていた。B校は、A校に比べると営業的説明も多々あったので、こちらもその営業アピールに応じられるような準備を進めた。

中学受験の準備は3年生の2月から開始するのが通常で、5年生秋に決意したムスメは相当遅れてのスタートだった。そもそも5年のクラスで崩壊の予兆が見えたのでこれはまずいと思い、本人が完全個別指導がいい!と(振り返れば贅沢な)要望を出してきたので、まずは算数1科目から塾に通い始めたのが5年生の6月だったと思う。その後、2学期に悪夢の代替担任となったことで、秋に本人が受験を決意したので、何が幸いするかはわからない。そしてその時点で転塾を薦めたものの本人の希望で、そのまま受験体制に突入した。

6年夏休み前の学校説明会で今年度の受験要項が明らかになり、A校とB校の受験日程を組んでみたら2科目+英語で受験可能なことがわかり、理科は得意ではあったけれど社会をそこから追いつかせるのは到底不可能であったため、6月頃に算国の2科目に絞り、生まれた余裕で英検3級の取得を目指すことに方針決定した(英検3級をもっていると加点される学校は多く、英語受験も可能になるため)。受験に間に合うためにはワンチャンスしかなかったけれど、見事に秋の英検で3級に合格することができた。

そして6年の夏休み。以前から薦めていた某塾の夏期講習に参加することをようやく本人が承諾し、お友だちと切磋琢磨する楽しさを感じたムスメは、秋に個別指導塾をようやく退会し、完全に転塾した。そしてここからムスメの猛追撃が始まった。特に冬期講習以降の頑張りと追い上げは、そばで見ていて心から感動したほどだった。12月以降は模試がなかったので偏差値はわからないけれど、1月上旬にはわたしが内心で想定していた目標をクリアしたので、なんとか間に合ったと密かな手応えを感じた。

1月校受験を経て、迎えた2月1日。午前はB校の受験、午後はA校の受験だった。夕方にA校の試験が終了した時刻にB校の合格発表があり、A校の控室の講堂でムスメと二人で結果を見たとき、そこに受験番号があるのを見つけて抱き合って泣いた。

2月2日は、1日が玉砕していたらC校の受験を予定していた。偏差値は全く高くないけれど、先生が生徒を大切にしてくれる少人数の素晴らしい学校でわたしはとても気に入っていた。出願はしてあったので(定員割れで他の受験生の迷惑にもならないし)受験だけすれば、とも思ったけれど、2日の朝は雪だったので、結局C校には行かず、午前中はゆっくりと自宅で過ごした。早めに家を出て、お弁当をもって前日惜しくも敗れたA校に最後の挑戦のために向かった。この時点でムスメもわたしもすっかりB校に進学するつもりだったので、本人も”どちらにせよ今日で終わるね♪”などとリラックスして、それでも直前まで塾の先生からいただいたA校対策プリントに取り組む姿があった。そして試験会場へ後ろ姿を見送ったあとは、わたしはあの最高の図書室で至福のひとときを過ごしながら、”ここに来るのも最後かな”と思っていた。当日の夜のA校の発表。全く期待しないでムスメと並んで画面を開くと、そこにはムスメの受験番号があった!!! 嬉しいというより、吃驚で、喜びはあとからじわじわやってきた。

こうしてムスメは一番最初から希望していた学校に進学することになった。”のびのびとした中高生活を送ってほしい”という当初からの願いはきっと実現することだろう。これからムスメが過ごす6年間を思うと心底ワクワクする。

振り返れば転機はいくつかあった。ただ、もし3点をピックアップするならば、ひとつめは志望校を早いうちに決めたこと(これで算数の重点領域を明確にできた)、ふたつめに本人が長く続けてきて好きな英語を武器にできたこと(出遅れたなかで本人の自尊心を維持するのにも有効だった)、みっつめは転塾してよい先生方に出会えたこと(模試の偏差値ではなく本人の能力を認めてくれた先生には感謝しかない)の3つが大きな転機だったと思う。

12歳の闘いは、想像以上に厳しくて、でも思春期の入り口にたつムスメとがっつりと向き合い、家族全員が協力して一緒に乗り切ることができたので、母親としては最高に充実した幸せな時間だった。幸い結果にも恵まれたけど、どこかひとつ小さな歯車がかけ違えば違う結果になっていたかもしれない。紙一重だったと思っている。

応援いただいたみなさまに心からの感謝を。ありがとうございました。