育児観という暴力

とあるお母さん日記へコメントをしたものの、ただ自分が書きたいだけなのではと思えてしまい削除。自分のためなら自分のスペースに書くのが正解だろう。考えすぎ?

その方とは一面識もなく完全なオフラインつながり。ただ何故か月曜日の夜に、その方と一緒にライブに行くという夢を見た。会ったことがないので、自分内イメージのドリカム吉田美和嬢の姿で登場。何とも不思議な夢だった。

実家母などと育児について話していると時折言われるのが、"今は情報過多すぎるのよね"ということ。雑誌やwebサイト等で、"かくあるべき"育児情報が氾濫していて、実は母親同士にはどの育児情報を信奉するかという、育児派閥みたいなものがある。健康情報と同じで、どれを信じるかという一種の信仰というか、完全に価値観の問題なので、Aを信じているヒトはAが絶対の正解と思って押し付けてくるので、本当に性質が悪い。

私自身も、特に出産後しばらくの間は、雑誌やネットで育児情報を調べていたので、"○○でなくっちゃ"と信仰していることもあった。自分で信仰するだけならまだしも、それを他人に押し付ける事態が往々にして発生する。私自身も、イトコくんのお母さんに"○○した方がいいんだって"などと言ってしまったことが何度がある。幸いイトコくんのお母さんは、そういう情報をほとんど気にしない方なので、さらっと流してくれたけど。ここで最もタチが悪いのは、これまた健康情報と同じで、助言している方は、相手に対して良かれと思って話していることが多いということだ。いわば善意の押し付け。

私は、子どもを出産してから2年間ずーっと本当に自分がダメな母親なのではないか、こんな状態で仕事を続けてよいのだろうかとずーっとずっとグルグルグルグルしている。でも選択肢は他にないし、というところで立ち直り、また再びダメ母ではと落ち込むというサイクルを、周期的に繰り返している。それに付き合わされる相方氏にちょっと同情。

だけど、先日も書いたように、最近、唐突にふっと、子どもに対して"自分が大事にされている感"というか"愛されている実感"だけ与えてあげられれば、もう後は大したことではないやと開き直ることができた。


だから、他人の育児観なんてくそくらえっ!!(はっ、失礼)
だって世界中で色々な育て方をされている子どもたちは、ちゃーんと育っているのだ。戦時下だって子どもは育つ。
母乳じゃなくて、ミルクでもいいじゃん、いいじゃん。
お刺身を1歳から食べさせてもいいじゃん、いいじゃん。
保育園の送りに毎日ファミサポさん使ったっていいじゃん、いいんじゃん。
幼稚園の送迎ができなくてもいいじゃん、いいじゃん。
洋服の裾が出てだっていいじゃん、いいじゃん(ちなみにポコンたんは、お腹が出ているので、ジャストサイズの服を着せると、入れても入れても裾が出てしまうよ?)。
子どもはそんなことを飲み込んでたくましく育っていく。


その方が自分を責める気持ちも切実によーっく分かる。
でも、余裕がないなら、自分の力が足りないなら、今はそれでいいのではないかな?
弱っているときに、そこで何とかしなくっちゃと思うとますます辛くなってしまう。

自分にとって大切な人たちを大切にするために、最も大事なことは、まず何よりご自分を大切にすること。
だからまず自分が楽になれることだけを考えて下さい。そのために使える手段は、家族親族、制度や社会サービス、友人知人、何でも使って。