数日前から読み始めていた湯浅誠"反貧困−「すべり台社会」からの脱出"(岩波新書,2008)をさきほど読了。
筆者の湯浅氏は、反貧困ネットワークの事務局長でNPO法人自立生活サポートセンターもやいの事務局長等を兼任されているフィールドワーカーである。現場の最前線で活動されている方なので、リアルなリアルな実例を織り交ぜながら、各種統計や論文等を紹介しつつ、現在の日本の貧困状況の現実と背景をコンパクトに分かりやすくまとめられている好著であり、非常に考えさせれる内容だった。
突然ですが、あなたはご自分の世帯の最低生活費(生活保護基準)をご存知ですか?
生活保護基準なんてご自分の生活とはまったく関係のないものだと思っていませんか?
生活保護基準は、確かに住んでいる自治体・地域や世帯構成等に基づき算出される生活保護受給時の支給額のことであるが、これはつまり憲法第25条に定められた「健康で文化的な最低限度の生活」の基準であり、日本の「(公的)貧困ライン」でもある。
この最低生活費は、生活保護だけではなく、介護保険料などを含め各種制度の基準にリンクしている。
ちなみに我が家の最低生活費を計算したところ、住宅扶助上限額を含めて224,530円だった。単純12ヶ月計算で年収2,692,200円。よく指摘されるように、やはり大都市圏では年収300万円がひとつのボーダー。
最低生活費の計算は非常にややこしいけれど、もやいのサイトにて自動計算ツールが提供されている。みなさん、一度お試しあれ。その金額が国が保障してくれるあなたの生活だ。
本書の副題にある「すべり台社会」とは、つまり「雇用」「社会保険」「公的扶助」という三層に張られているはずのセーフティネットがもはや機能しておらず、ひとつめの雇用というネットから落ちるとそのまま二層めの「社会保険」、三層目の「公的扶助」にすら受け止めてもらえず、最後(貧困)まで滑り落ちてしまうという日本の悲惨な現状を表現している。
"働いても生活が成り立たない。また働く場そのものから追い出されるという形で、雇用(労働)のネットから漏れ落ちてしまう人が増えている"(p.24)
そして雇用保険や健康保険などの「社会保険」は、正規雇用や一定要件以上の被雇用者を対象としており、さらには要件を満たしていても加入していない会社も多くある。失業給付の受給者は右肩下がりで、1982年には失業者の59.5%だったけれど、2006年には21.6%に減少している(p.25)。失業者の5分の1しか受給していないのでは、雇用保険という「社会保険のセーフティネット」は機能しているとはいえない。
最後のセーフティネットである公的扶助(日本ではイコール生活保護)は、制度に対するイメージの悪さもあるけれど、自治体窓口で申請をさせない「水際作戦」が横行していることが大きな要因という。
日本では公的な補足率調査は行われていないけれど、複数の研究者の推定によると補足率は15〜20%程度という(p.28)。実際には、生活保護基準以下の生活をしているのに、生活保護を受給していない人々が80〜85%もいるというのでは、「公的扶助」という最後のセーフティネットもぼろぼろだということだ。
再び突然ですが、あなたは「お金がない(貧困)のは、その人の努力が足りないからだ」と思われますか?
本書では、"貧困状態に至る背景"として下記の"五重の排除"があるとあされている(pp.60-61)。
"第一に、教育課程からの排除。この背後にはすでに親世代の貧困がある。"
"第二に、企業福祉からの排除。雇用のネットからはじき出されること、あるいは雇用のネットの上にいるはずなのに(働いているのに)食べていけなくなっている状態を指す。"
"第三に、家族福祉からの排除。親や子どもを頼れないこと、頼れる親を持たないこと。"
"第四に、公的福祉からの排除。"
"第五に、自分自身からの排除。"
生活困窮に陥っている人々は、決して自助努力を怠ったためではなく、むしろ"自助努力の過剰"により、非正規雇用や日雇い労働や多重債務の泥沼にはまり込んでいく現実。そしてこの国の社会制度では、一度はまり込んだ泥沼から抜け出すことは、容易ではないなどというコトバでは表せないほど、容易ではない。それが「すべり台社会」。
本書でも紹介されているノーベル経済学賞受賞のインド出身経済学者のアマルティア・センは、"潜在能力"という独自の概念を用いて、新しい貧困論を産み出した。私自身も院生時代にセンの著作を読んで、目からうろこがおちたというか、膝を打ったというか、大きな衝撃を受けたけれど、今読んだらもう少し深く理解できるようにも思う。
筆者の湯浅氏は、"センの「潜在能力」に相当する概念を"溜め"という言葉で語ってきた"(p.78)という。これは"溜め池"の"溜め"であり、"外部からの衝撃を吸収してくれるクッション(緩衝材)の役割を果たすとともに、そこからエネルギーを汲み出す諸力の源泉となる"(同)。
お金(貯金)は、ひとつの"溜め"である。十分に貯金があれば、たとえ失業しても、当面の間暮らしていかれるし、その間に求職活動を行える。一方では、求職の面接に行く交通費すら工面できない"溜め"のない人もいる。
湯浅氏曰く、"有形・無形のさまざまなものが、"溜め"の機能を有している"(p.79)という。
例えば、頼れる家族や親族、友人などの存在は、人間関係の"溜め"。
例えば、自分に自信がある、自分を大切にできるというのは、精神的な"溜め"。
"本人たちもまた、できることならそんな選択肢は避けたいと思っている。しかし、それを可能にしてくれる条件("溜め")がないために(…中略…)、不利とわかっていても他方を選ばざるを得ない。そこに、選択肢を奪われた"溜め"のない状態が示されている"(p.92)
従って、貧困を現実的に解消しようと思うならば、まずはこの"溜め"を少しずつでも戻す/戻してあげることが必要になる。
(その意味では、現在の自立支援対策関連はあまり意味がないことも本書は指摘している。(pp.119-123参照))
湯浅氏が事務局長を務めるNPO法人のもやいでは、連帯保証人がいないために住居を確保できない人たちに連帯保証人を提供している。当然周囲からは心配されたとあるが、実際には滞納などで金銭的トラブルになるのは5%前後とのこと(毎年200世帯ペースで増加)。つまり95%の人たちは、少なくとも連帯保証人に金銭的な負担をかけずにアパート生活を継続しているということだ(p.126)。
これは、国が現在は否定し続けている日本の貧困の現状を直視して、もうほんの少しでも、実効力のある取り組みをすれば、状況は大幅に改善可能という証ではないのだろうか?
貧困を、当事者の"自己責任"に押し込んで、雇用から始まるセーフティネットのそれぞれのレベルを修復しない限りは、おそらくこの状況は拡大するばかりだし、それは10年後、数十年後のこの国の力や技術力の低下、社会不安の増大を呼ぶだけではないのだろうか?
以下、余談。筆者に対する前知識がまったくないままにこの本を読んでいて、どうやらフィールドワーカーらしいけれど、統計や先行研究の引用がやたらに手馴れていて、どんなワーカーなんだ!?と驚愕していたら、東京大学法学部の博士課程単位取得退学の経歴だった。だから、読んでいると何だか無性に勉強したくなったんだな、と納得。
- 作者: 湯浅誠
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/04/22
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