"現代の貧困−ワーキングプア/ホームレス/生活保護"

病院の待合室にて、岩田正美"現代の貧困−ワーキングプア/ホームレス/生活保護"(ちくま新書,2007)を読了。221頁、難易度:中。

岩田先生は直接お会いしたことはないけれど、かつてちょっとしたかかわりがあったことと、日本で長らく貧困研究をされているので尊敬している先生。ただ著作には統計や数値が多用されるので、数字の読み取りにが苦手な私は、正直読むのに時間がかかる。単に、私の数字/統計の勉強不足が理由だけど。

2007年に本書が書かれた当時より、現時点の方が非正規職員や年越し派遣村などの問題があり、"ワーキングプア"や"格差社会"についての議論は大きくなっている。だけど、だからといって、本書で指摘されている問題が解決の方向に向かっていたり、改善の光が見えているわけでは全くない。むしろ本書が危惧しているような方向にすら向かっているのかもしれない。

本書の内容はかなり盛りだくさんで、たくさん線も引いたし、考えさせられることも多かった。ただ今はちょっと考えたことをまとめる体力的な余裕がないので、個人的に一番印象の強い2箇所をご紹介する。

貧困と格差には強い関連があるが、両者は意味の異なる言葉である。格差は基本的にそこに「ある」ことを示すだけでも済む。場合によっては「格差があって何が悪い」と開き直ることも可能である。だが、貧困はそうはいかない。貧困は人々のある生活状態を「あってはならない」と社会が価値判断することで「発見」されるものであり、その解決を社会に迫っているものである。
(同書,p.9)

新聞紙上等で"格差"という表現を目にするたびに感じる違和感の理由は、まさしくこれである。"貧困"は私たちの社会自身の問題だけど、"格差はちょっと距離があるというか、どこか"他人事"なのだ。

日本も含めた先進諸国には、市場経済が生みだす富の格差を是正する福祉国家の諸制度がある。もしこの諸制度が十分に機能していれば、市場で「不利」になった人々にもやり直しの機会が与えられ、特定の人々ばかりに「不利」な「状況」が集中するようなことは減るかもしれない。
ところが、この福祉国家の制度自体が、ある人々には「有利」に働き、別の人々には「不利」に働くなら、結果として、特定の人々を貧困から抜け出せなくする役割を、こうした制度自体が果たしてしまうことになる。
つまり、福祉国家の道を歩んだ国々においては、貧困から抜け出せずにいる、あるいは社会的に排除されてしまった「不利な人々」の存在は、その福祉国家が健全な機能を果たしているかどうか、制度に歪みがないかどうかを測るリトマス試験紙としての意味を持つことになる。
(同書,pp.188-189)

だから、所得再分配機能を果たしていない介護保険制度は、社会保障制度として未熟だし、その点からも社会福祉制度ではない。介護保険制度ばかりでなく、日本が社会保険を中心とする限り、これは決して変わらない。遅すぎるけど、やっと理解できたよ。

うーん、本当はもっときちんとレポートにまとめたい内容だったのだけど。これでは感想文以下だな…。

現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)

現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)