利用者本位と法令遵守と

社会福祉の仕事(実践)というのは、最も根本の土台に"利用者本位"という価値がおかれている。職場で最高上司が以前に話していたことではあるけれど、制度や法令もその視点で進められている時期には、あまり迷わず考えずに、制度や法令に沿って日々の業務に取り組んでいくことが可能である。日本では1970年代がそんな良き時代。

私はそんな時代の高齢者福祉の現場が自分自身の生活圏にあり日常的に出入りしていたのだけど、今から振り返ると当時は本当に牧歌的というかのどかだった。社会福祉士も介護福祉士もなくて*1、いるのは"寮母さん"だったけれど、ご利用者と職員の垣根が非常に低くて、生身でぶつかり合いながら日々の生活、日々の実践が営まれていた。木造の養護老人ホームを建て替えるときには、元気な男性の入居者が自分たちも一緒になって壊していた(これは自分で実際に見たのか、写真で見ただけなのか、正直にいって曖昧な記憶だけど)。

入居者もまだ元気な方が多くて、養護老人ホームの入居者で外部に働きに行ったり?、市民農園で畑を耕したり。特別養護老人ホームの入居者だって、木工細工や陶芸、皮工芸などサークル活動に参加されていた。特別養護老人ホームの医療対応や養護老人ホームの入居者の要介護化が大きな課題になっている現在では、とても想像がつかない光景。

そんなのどかな1970年代からおそらく2000年3月31日まで、つまり介護保険制度が施行される前日までの老人福祉法の下では、制度や法律と"利用者本位"という価値は、さほど矛盾していなかった。

ところが、介護保険制度が施行された途端に、高齢者福祉の現場の光景は一転する。それは本当に劇的ともいえる衝撃だった。それまで隣に並んで支えてきた職員と利用者の関係に、"契約"という概念が持ち込まれ、職員(事業者)と利用者は"甲"と"乙"という向き合う関係に置き換えられたことなどは一例。介護請求の仕組みが開始したことで、日々の援助活動は実績(=出来高)として管理しなくてならなくなり、そのための事務作業は膨大になり、事務職員はもちろんこと、直接援助に携わる現場から利用者に接する時間を奪っていく(実際には事務作業は残業して対応という状況が発生する)。

もちろん介護保険制度が導入されて、"利用者本位"につながった側面というのが全くないわけではない。ただ2000年4月1日に介護保険制度が施行されて以降の制度や法令は、利用者を中心においている流れにはとてもみえない。さもなければ、静養ホームたまゆら荘の火災のような事件は起こるはずがない*2。だけど、それでも実際の仕事は制度や法律で規定された枠組のなかで取り組まなくてはならず、日々の、瞬間瞬間の取り組みにおいては"利用者本位"という価値と衝突が発生し、職員はそれぞれにそのジレンマにはさまれる(今日のエントリのテーマからは離れるけれど、おそらくこれが介護現場からの離職率の高さの最大の背景)。

こういう現状で、素直に"利用者本位"を貫こうとすると結果的に制度や法令に違反や抵触することになり、かといって制度や法令にだけ基づくならば介護保険実践はできるかもしれないけれど社会福祉実践はできないことになる。さらに、2009年度の法改定により、"介護サービス事業者の業務管理体制整備"が義務付けられたことから、"利用者のために"だけでは済まない状況にさらに追い込まれている。

最初に書いたことだけど、制度や法令が"利用者本位"の方向性を向いている枠のなかでは、社会福祉の現場ではさほど悩まず日々の仕事に取り組むことができる。けれどもそうでない場合、制度や法令という枠から求められるものと"利用者本位"という価値が相反するような状況においては、それを両立していくためには一工夫も二工夫も必要で、さらにそれを無理のない業務の流れで実現しようとするならば、トリプルA級の仕組みが必要になるのだ。

*1:"社会福祉士及び介護福祉士法"は1987年制定、1988年度施行。

*2:火災が発生してしまったこと自体ももちろん大きな問題だけど、それよりも制度外の"施設"が存在しなくてはならなくなったことの方がより重要な問題。いわば起こるべくして起こった痛ましい事件。