すてきな奥さんにはなれませぬ

昨日、通院のついでにユザワヤに寄った。目的は切れてしまったビーズネックレスの修復用パーツだったのだけど、ちょうどセールをしている最中でレジは大混雑。膨大な布各種など種々様々な手芸材料を熱心に選び、腕いっぱいに抱えている奥さま方を見ていて、"ああ、自分はやはり'すてきな奥さま'にはなれないな〜"とあらためて痛感してしまった。

という話を夕食後に相方氏に話したところ、"何をいまさら"とつぶやかれてしまった。で"ポコンもそう思うだろ?"とぱぱぃから相槌を求められたポコンたんまで満面の笑みで"うん♪"とうなづいている。その後、続けてぱぱぃから"おきゃんとポコンのどっちがお転婆?"と聞かれて、即座に私のことを指差している始末。どこまでわかっているのだ、4歳児(苦笑)

約1か月近く自宅安静して過ごしていたり、少し精神的にも時間的にもゆとりがあり、そういうときには必ず裁縫や編み物をしたいな〜という思いがもたげてくる。実家の母は、実は編み物や裁縫が得意で、小さい頃には手袋やベストを編んでくれて、それがとてもとても嬉しかったので、ポコンたんにも同じような喜びをあげたいな〜と思うのだけど、フルタイムで仕事をしているととてもではないけど日々の生活だけで手いっぱい。だからこそ、ゆとりがあるとむくむくとそのような野望が生まれてくる。ちなみに約30年前に母が編んでくれた手袋は、先日現役に復活しポコンたんが使っている。なんて物持ちのよい我が実家&我が家(笑)

その後書店をうろうろしていたのだけど、書店を回遊していると自分の無意識の興味がどのあたりにあるのかが明確になるので面白い。やはりどうしても仕事や勉強関係の書籍に心ひかれてしまうらしい。女性誌や手芸誌や手作り関係本売り場も意識的に寄るのだけど、手にとってもすぐに書棚に戻してしまうのだよね。例えば午前勤務で午後の早い時間に帰宅して自由になる時間があっても、そこでミシンを取り出そうというよりも読書したい。要はそういうタイプなんだな、自分は。

でもって相方氏も、そしておそらくポコンたんも、私はそういう存在だと認識しているので、一度ポコンたんに簡単なスカートを縫ってあげたのだけど、期待していたほど喜んではくれなかったり(次こそはと密かにリベンジをたくらんではいるけれど)。むしろ我が家は全員食いしん坊なので、まともな夕食を毎日用意していることは確実に歓迎されている。料理は、材料と時間さえあれば、全く嫌いではなくむしろ好きなので、私の奥さま力(というのか?)の育成と発揮は、料理を重点化するのがよさそうかな。

多分自分のなかに"すてきな奥さま"的な生活(具体的にどういう生活と聞かれても困るのだけど、なんとなくのイメージで察してくらさい)に対する憧れがあって、ちょっとゆとりがあるとむくむくとそういう生活を実践してみようかという変な欲が生まれるのだけど、結局自分の性分ではないというのを自覚して方向転換するということを結婚以来の数年の間で何度か繰り返している。思えば、結婚以前の大学院と仕事との二足のわらじ時代から、時折"のんび〜りとした生活"に挑戦しては結局時間貧乏であることを自覚してあきらめるという繰り返しに通じるものがあるような。時間貧乏という点からいうと、そもそもちょっと余裕が生まれると何かしたくなる時点で時間貧乏性はいかんなく発揮されているけれど。

一昨年の秋頃から実は相当に無理な生活をしていたし、1か月の自宅安静期間は、職場にかけた迷惑を考えなければ、自分自身にとってはまさしく神様がくれた休暇みたいなものだった。おかげでずっと時間に追われ続けている焦りから解放されることができたし、落ち着いて色々なことを考える余裕が生まれた。だけど職場に復帰して、あらためて思ったのは"やはり仕事は自分が自分らしい人生を過ごすために必要だなぁ"ということだった。仕事をしている自分はまさしくidentityの一部なのだ。

自分の個人的な将来展開を考えていく上で最大の不確定要素だった第二子の出産がほぼ予定確定したので、長期計画も考えられるようになった。わーい、楽しいな。