the meaning of my life

1月中旬から約1か月間に渡り妊娠トラブルで自宅安静になり、2月中旬に復帰したときに、"ああ、仕事は自分の人生(日常生活)に欠かせないなぁ"としみじみ感じてしまった。一昨年から昨年にかけては、ものすごい慌ただしい毎日が続いていて、率直なところ仕事から少し離れたい気持ちもあったのだけど、思いがけず約1か月間離れたことでリセットしたらしい。

30代半ばを過ぎて、今後の自分の人生をどう過ごすのかということについて時折考えることがあったけれど、ここにきて自分の人生のあり方は、仕事とそこに付随する勉強でいいんだなとあらためて明確に整理ができた。家庭はもちろん生活の基本なのだけど、相方氏も仕事があり、ポコンたんも保育園(数年後には学校)があり、と社会活動の場としてはそれぞれの世界をもっている。朝出かけて、夜に帰宅する、文字通り生活の基地のような場所。その基盤をみんなが安らげる居心地のよい場所にするのは、家族全員の役割ではあるけれど、自分の人生を家庭中心に過ごす気持ちには、私は絶対になれない。

2月25日のエントリで書いたとおり、例えば子どもの服は基本的に手作りしたり、毎日手作りのおやつを用意してあげたり、のような丁寧な暮らしや"すてきな奥さん"に憧れる気持ちは多少あったのだけど、やはりそれは自分には向かないし、到底できない。せいぜいで気が向いたお休みの日に、ポコンたんと一緒にクッキーを作ったり、適当なスカートを縫ってあげる程度(笑)

自宅安静期間中に、"プラダを着た悪魔""ラブ・アクチュアリー""キューティ・ブロンド"等のお洒落映画を続けてみたことから、我が身を振り返り"もう少しお洒落に気を使おうかな"などと柄にもなく一瞬思ったものの、いざお店に行くと目が行くのはスーツなどだったり。あと、いまさら気がついたことだけど、もしきちんとお洒落をしようとすると、服装だけでなく、バッグや靴、ジュエリーなどもぜーんぶ入れ替えなくてはならず、その費用を考えただけで気持ちは萎えてしまった。結局自分が落ち着く服を着るのが一番、ということで。

考えてみると、特に女性の生き方というか人生のあり方は、おそらく自分が育った家庭、特に母親の影響を強く受けるように思う。実家の母は、私が生まれた頃から本格的に現在の仕事に取り組み始め、いわば私は母の仕事とともに成長してきたようなものだ。母は良き母で良き妻だけど、決して"手作り系の"すてきな奥さん"ではなかったし、服装や色遣いのセンスは良いけれど、決していわゆるお洒落重視ではない。そもそも母の母である祖母を考えてみても、我が家は働く女性の家系なのだ(笑)

万が一、祖母が仕事をしていなくて、母も専業主婦だったとしたら、私の人生もまた全く別物だったろうなぁと思う。もしかしたら相方氏とは出会っていなくて、ポコンたんは誕生していない可能性もある。

相方氏にはまた"何をいまさら…"と言われてしまいそうだけど、自分の人生のあり方というか方向性があらためて明確になったので、気持ちの整理がついたというか、なんというか非常に落ち着いたのだった。

目下の最大の不安は、もし中のヒトが重大な病気や障碍をもって生まれてきたら、どうしよう?ということ。今の日本の制度では、多くの場合は家族の誰かが全面的に生活を支えなければいけなくなる。そしてそれはたいていの場合は母親になる。だけど、きっとその場合でも、私が仕事を辞めるという選択肢ではなく、家族全員で助け合いながら、足りないところは外部の力を借りて、なんとか過ごしていくのだろうな、と思う。ま、何があってもなんとかなるから、何か起こったらそのときに考えようっと。