ヒトの性格はいつどのようにして決まるのかというのは論争のある命題ではあるけれど、ハハオヤの実感としては胎児または乳児の頃からベースは出来上がっていると感じる。同じ両親から生まれてきたのに、二人の子どもたちの様子は大きく違う。
ポコンたんは、誕生直後から本当に自己主張の激しい赤ちゃんで、泣き方も強烈だった(今はさらに力を増して強烈)。泣き声は新生児室から私の病室まで聞こえていたし、助産師さんがくわえさせてくれたおしゃぶりを即座にペッと吐き出したので助産師さんが驚いたほどだった。相方氏とは、おそらく早産になったのは本人が"早く出せ〜"と私のなかでつねったせいではないか、と話しているほど。乳児時代はおしりにセンサーがついているのではないかと思うほど敏感で、抱っこで熟睡していてもお布団に降ろした途端、んぎゃ〜と起きてしまっていた。その後も寝かしつけにはずっと苦労し、今も"寝るのはキライ"と寝つきの悪さは続いている。保育園ではお友だちと仲良くしているので安心しているけれど、自宅では何事万事に自分の意志や要望を主張し、時に頑として譲らない。
自己主張の強さは、人生におけるこだわりの強さの裏返しだ。何事万事自分の意見をもつということは、自分の世界の細部にまでこだわりがあるということかなと思う。それは私に似ている点というよりも、ポコンたんは本当に私の祖母にそっくりだ。祖母が存命の頃、祖母は二つのポットにお湯を入れており、どちらかを使おうとすると必ずもうひとつの方が熱いからそちらを使うようにと毎回言われていた。ポコンたんも二つのモノがある場合には、必ず私が選んだのと違う方が"正しい"と主張する。また祖母は70歳を越してから初めて家族でスキー(おそらく人生で最初で最後のスキーだったはず)に出かけたとき、自分が滑り方を教えてもらって15分後に全くの他人に教えていた。ポコンたんは、楽器を習えばすぐに自分が先生役になって私に教えてくれる。先日モルファルが"'っ'は読まなくてもよいのだよ"とポコンたんに教えてくれた直後に、私に"'っ'は読まないのだよ〜"と指導してくれた。ポコンたんが祖母にそっくりのエピソードは他にも山のようにある。
ポコンたんを見ていると、そのこだわりの強さが損をしている場面が多くて、ちょっと可哀想になる。例えば外出して楽しい時間を過ごすと、帰るのがイヤでイヤで大騒ぎになり、親チームは次に来る気が失せてしまう。素直に帰ればまた連れて来てあげるのに。将来おそらく生きづらいだろうなと親としては内心心配になるけれど、祖母に似て底抜けのたくましさとバイタリティをもっているので、つらい思いはたくさんするだろうけれど必ず乗り越えてくれるだろうと思う。
一方、サニスケは全く違う性格を表している。モルモルいわく、こだわりが少なく流れに身をまかせている様子がある。サニスケには、ポコンたんのときに散々苦労したお尻センサーがなく、抱っこで熟睡していれば布団に普通におろしてそのまま良眠している。眠い時に横にしておくと、そのままひとりで寝付いてしまったこともたびたびある。その前に結構長い時間を抱っこしていたとしても、ポコンたんのときにはありえないことで、最初は本当に吃驚した。これはモルモルに言わせれば、"眠い"という流れにまかせているのだろう、という解説(ポコンたんはそこで"抱っこがいい"というこだわりがあったから起きてしまっていた)。今朝もよく寝ていたので起こさずにひとりで寝室に寝かせておき、ポコンたんを保育園に連れて行くために様子を見に行ったら目をぱっちり明けて、泣きもせずにおとなしく目覚めていた。
もちろんサニスケも泣くことはある。特に眠りに落ちる直前には、こちらが"ななな何が起こったの!!??"と焦ってしまうほど甲高く大きな声で絶叫する(最初に聞いたときは、心底焦った)。夜に添え乳で寝かしつけて、ポコンたんも寝る体制になった後でポコンたんが私に何かをとってほしいと言って、添え乳を中断したときも、大絶叫で抗議する。数日前はその絶叫声が"ままぃ、寝かせろ〜"と明確に聞こえたのでポコンたんと笑ってしまった。
ポコンたんの自己主張の強さ、サニスケのこだわらないしなやかさ、どちらがよいということは全くない。ただ、随分違うものだなぁと感心するだけ。こだわらないサニスケの方が生きやすいとは思うけど、相方氏に似て数少ない自分のこだわりポイントは絶対に譲らない頑固さもあるだろうなと予測している。
ポコンたんの性格は私に近いので、彼女の思考と感情の流れはよく理解できる。一方サニスケの様子は、私には非常に新鮮に映る。結婚して相方氏や子どもと一緒に暮らしていくなかで私も相当に融通がきくようになってはきたけれど、仲良しだった年上の従姉妹から"もっと気楽にね"と言われけ、いまでも人生の師匠から"しのさん、あきらめが肝心です。まだまだあきらめが足りません"と言われている、その真の意味がサニスケをみているうちに、ようやく理解できた。四か月の乳児に学ぶことが多い毎日なのだ。