今日は自分の定期通院の日。病院の最寄駅で下車したら、目の前が空き地になっており驚く。気がつくと変わっていく風景。空き地になると以前にどんな建物があったのか思い出せない。
ポツリポツリと大粒の雨が降るなか歩きながら、初めてこの病院に来た時のことを思い出した。1992年のことだから早20年以上前になる。浪人中にメガネが合わなくて予備校の近くにあった病院の眼科を受診したら、ウィルソン病に特徴的なカイザー・フライシャー角膜輪を見つけてくださり、専門医のいる病院を紹介して下さったという、今から考えても奇跡のような幸運に恵まれた。
その最初に通院した当日に即日入院になり、約100日後に退院して以来、1〜2ヶ月に1度ずつ定期通院しているので、一体何回目の通院になるのかななんて考えながら病院に到着。ウィルソン病はもともと子どもの病気なので、主治医は小児科。50歳になっても70歳になっても小児科に通うのだなと思うと、なんともおかしい。
それにしても病院の内装は多少改修されてはいるもの、そろそろ病院の建物耐用年数を過ぎるだろうと思われる建物をみると、おそらく建替計画が検討されているのだろうな、多分移転するのだろうな、建築費用はどのくらいかな、補助率は…などと考えてしまうのは職業病か。
小児科外来受付の顔なじみの事務員さんに挨拶をして、若い看護師さんに”採血室は○階です”と見送られて、内心で”採血室は目をつぶっていても行かれます”と思いながら、口では”はい、ありがとう”と言えるくらいには大人になった。しかし利用者側になると、つくづくとベテランの力、顔なじみの安心感というのは大きくて、おそらく勤務先法人でも同様のことは日々生じているのだろうなと思う。
20数年間、真面目に服薬と食事制限を続けているので、状態は安定しているのだけど、かつて3回ほどガタガタになったことがあり、それは2回の出産のあとと留学から帰国したとき。出産は母体にとっては一大事なのでやむを得ないとして、留学中に実は頻繁に服薬を忘れてしまった結果がてきめんに帰国後の検査で表れたので、以来、服薬には一層気をつけるようになった。
いま自分が怠薬したら、数ヶ月で検査値に表れ、それでももし怠薬を続けたら、おそらく1〜2年で日常生活上の支障が生じ、仕事はとてもできなくなるだろう。さらに怠薬を続けると、もしかすると数年でこの世界とはお別れをすることになる可能性が高い。…ということ自覚しつつ、いまのように仕事して、家族とともに過ごせることの幸せを噛み締めるのが、私にとっての定期通院の意味。
余談。オットと知り合ったとき、どうしてもウィルソン病のことを打ち明けられなかった。それまで他の友人たちとは誰に対しても話していたので、話せないことが不思議だった。そしてプロポーズを受けた後だったのか直前だったのか、ある深夜にオットから電話がかかってきて、ものすごく深刻そうな声で”病気なの?”と聞いてきた。当時公開していた闘病雑記を読んだようだった。ああ、もうこれで終わりだな…と悲しくなったのだけれど、それは大いなる誤解で。オットは心配して、何ができるのかを私の両親から聞きたいというのが主旨だと理解できたのはだいぶ長い時間にわたり電話で話した後だった。
いまでは毎日行き違いもあるし、お互い腹の立つことは多々あるけれど、それでもオットは根っこのところで私を大切に想ってくれることには当時から変わっていない、かな。って、あれれ、最後はのろけになってしまった。失礼。