海外研修報告会

今日は日中会議三連発のあと、先月にあった海外研修の参加者による報告会に出席。勤務先法人には寄付金を基金とした海外研修制度があり、すでに10数年に渡り数名ずつをスウェーデンに派遣している。今回は各施設の事業責任者層が視察に行ったので、自宅のことが気になりつつも、少々無理をしてでも報告会に参加したかった。

私が留学していたのは2002年〜2003年。いまだに去年のことのように鮮やかに蘇る場面の数々も、気がつけば15年も過去の状況になってしまった。スウェーデンの高齢者福祉といっても切り取る角度によって随分と見える情景は異なるものだけど、それでも当時からはだいぶ変わってきているところがある一方で、変わらずに守られいてるところもあるなというのが報告を聞いての率直な感想。Try&Errorを恐れないのがスウェーデン社会のひとつの特徴だと理解しているので、今回”変わったな”と感じた部分もそのような現実的な取組の一貫なのだろう。財政状況を含め様々な制約があるなかで、個人の生活をどのように守るのか、その視点は貫かれているように思う。

先日社会福祉法改正に関わる所轄庁の講習会に参加して”この国はどんどんとひとを信じない社会になっていく(手続き論ばかりが重視されて、現場の裁量権は削られていく一方)”とつくづくと考えてしまったのだけど、例えば事故対策(リスクマネジメント)ひとつとっても、いまは法や制度のレベルから”転倒をはじめとする事故を起こさないこと”ばかりが重視されてしまうけど、そうするとどうしても安全確保側に極端に寄らざるを得ないので、そこでのご利用者自身の行動の自由さは制約を受けてしまう。いわば”転ぶ自由(転ぶ可能性はあるかもしれないけど、自分の意志で行動する自由)”が制約され、介護者側もご利用者の意志に基づく行動を支援するより、転倒を回避するような介護をせざるをえない、というのが介護だけでなく、いまや医療や教育やこの国の社会のあちらこちらで生じている状況ではないのだろうか。そしてそのことが当事者(利用者)である私たち自身の生活を息苦しくさせ、また介護や医療や教育や様々な場面での”提供者側”の閉塞感を生み出しているように思う。

ただ、今週のはじめに参加した別の研修では、そのような厳しくなる一方の制約はあるなかでも、なんとか”福祉”を守ろうとする他の法人の方のお話を聞く機会があり、今回の海外研修報告とともに、希望の光はまだ消えていないと元気をもらったのだった。