2020年3月11日。
東日本大震災から9年が経った。いまだに避難生活を送られている方が5万人近い、という報道にくらくらする。この数年は何もできていないけど、個人としてできることは小さくても続けていかなくては。
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9年前の数日後、保育園からの家庭保育要請を受け引きこもっていた我が家、当時はわたしも4月から復帰予定の育児休業の最後の日々で、オットは臨時休業だったので、家族全員で在宅していた。気持ちのよいの晴天と当時5歳とゼロ歳だった子どもたちのストレスがMAXになったため、少し離れたところにあった公園に遊びにいった。保育園のお友だち一家と途中で会って話し、ホッとした気持ちになったことを覚えている。
そして屋外の公園で遊んでいたまさしくその時間に、東京の上空を高濃度の放射性物質を含んだ雲が通過していたことを知ったわたしは、これで子どもたちに健康被害が出たら、どれほど悔やんでも悔やみきれないと、眠れない夜を過ごした。
当時、留学時代に大変にお世話になったホストマザーからは”いますぐに(スウェーデンに)来なさい。なんで東京にいるの?せめてダンナさんのご実家(京都)に行きなさい”と何度も何度もメールをいただいた。でもわたしは日常を継続する道を選んだ。
結果的に子どもたちには健康被害が出ることもなく、いままで過ごしている。だからわたしの判断は結果的には間違えではなかったのだろう、結果的には。でもそれは偶然が重なった産物で、幸運だっただけだ。
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非常事態が発生したとき、安全サイドにもいかず、過剰反応もせずに、冷静に”正しい”道を選択することは難しい。仕事の判断も難しいけれど、特に子どもたちの命や健康がかかっている場合、親にとってのそれは実に実に難しい。
ただわたしは、現実の課題には現実的に対応しつつ、それでも可能な限り淡々と日々の生活を継続していきたいと思う。それが正しい選択なのか、常に一抹の不安を抱えながら。