この週末はまた転機となった。
数日にわたりまたコミュニケーションがギクシャクしていた長女と、わたしがうっかり漏らした一言で断絶してしまい、バスのなかでメッセージの画面を滲ませながら双方で感情的なテキストのやりとりをしたものの、お互いスッキリしたのか、その数時間後にはよい関係に戻ることができた。
復旧後に、色々話をしていて、やはりこれは親側の、わたしの問題だなとあらためて思った。頭ではわかってるつもりでもどうしてもどうしてもわたしにとって長女は可愛い可愛い子どもで、早産でこの世に誕生したときの小さな小さなポコンたんの延長で、だからこそ守って導きたくなるのだけど、まもなく15歳の誕生日を迎え、あと半年で高校生になる長女はもうわたしの手から離れて自分の道を歩み出しているのだ。
思春期における親子のぶつかりは結局これに尽きる。わかっているようで、わかってなかったな、わかってないというか忘れてしまうのだな、わたし、と思った。