長女が学校に登校できない日が増えてきた。
少し歳上のお嬢さんが登校できなくなり苦しんでいる友人がいて、大変そうだなぁ本人も親御さんもつらいよなぁと思っていたら、我が身に降ってきた。ホント人生って何が起こるかわからない。
振り返ってみると、長女が小学生の頃、習い事や塾で少しつらいことがあるとトイレに閉じこもって、どんなに説得しても頑として譲らず結局欠席していた。習い事や塾に何度謝罪の電話をしたことかわからない。つい数ヶ月前にも同じような場面があった。それと通じるものがあるようにも思うけど、本人は登校できないほどつらいのもまた事実なのだろう。
もし、や、たられば、を、たくさんたくさん考える。眠れない夜も続いている。バス停で気がつくと涙が止まらなくなっている。
…で、泣くと唐突に客観的な視野が戻ってきて、滑稽だな、いくつだよ自分、と気がつく。
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長女の人生は長女のものだ。長女のつらさの一部は、我々親に起因するのかもしれないけど、決して全てではないはずだ。逃避先を自認し、孫には甘い甘い祖父母宅をオアシスにするのも長女の自由だ。正直それがそもそもの根っこではと思う瞬間もあるのだけど、それもまた「たられば」なので、まあいいや。
長女はまもなく高校生になる。未熟な親で申し訳ないが、出来る限りの環境は用意してあげた。どう活用するかは本人次第。本人がもがいて苦しんで、いまはほんとうにつらいだろうけど、いつか必ず自らの力でトンネルを抜けるだろう。長女自身の力を信じてそのときを待つ。
考えてもどうにもならないことはいったん横に置いて、わたしは自分の誇れる自分を取り戻そう。