綱渡りの日々

今週はそもそも一年で三本指に入るくらいのタイトな仕事スケジュールだった。その上、最近は家庭にシフトしていたので、業務がかなり押している状況だった。

水曜日の夜、長女が習い事先の階段を踏み外して腰を打って足が痛いと言って帰宅した。

木曜日の朝、長女のことは気になりつつも本人は午後から登校だったので、通常通り出勤した。時計の針と競争しながら、午後の会議の資料を作成していたときに、長女から“足が腫れて歩けない“と連絡があった。午後の会議が終了後、速攻で帰宅して、タクシーで病院に付き添った。レントゲンの結果、骨に異常はなく、ひどい捻挫という診断になった。不幸中の幸い。

薬局により帰宅して、長女の希望によりマクドナルドからUberして、一緒に食べながら色々話すことができたのは怪我の功名。ずっと話していたかったけれど、職場に戻って抜けた分の業務を進めた。

金曜日の朝、起きてきたサニスケが“頭が痛くて気持ち悪い“とソファにぐったり横たわった。

検温すると平熱だけど、定時に登校はできそうにない。わたしは朝イチで自分が議長の会議があり、さらに今日が締切厳守の資料作成の業務があり、どうしても休めない。オット氏はとっくに出社した後。

サニスケに、“ついていてあげたいけど、どうしても仕事に行かなくてはいけないから、○分になったらいくね。行かれそうなら一緒に出よう?“と話したところ、“自分で休んで元気になったら登校するから、仕事に行っていいよ“と言ってくれた。事情をモルモルに連絡したところ、○分に来てくれて、交代。ただしモルモルも仕事があるので、長時間は無理。それでもサニスケは心強かっただろう。モルモルも仕事に出た後、11時頃に“行く“と連絡がきて登校したサニスケ。えらかった。

本日が期限の資料は、ギリギリ、本当にギリギリ宅配便の回収に間に合った。上司や後輩チームに少し迷惑をかけてしまい、申し訳なかった。

保育園時代は日々之綱渡りの毎日だったことを久しぶりに思い出した。子どもたちにしてあげられることがあるうちが花なのだと思う。