行動の軸と“私の個人主義“

2021年6月29日(火)

最近また寝つきが悪く、眠りが浅い日が続いている。

ワクチンの副反応のためか、今日は目覚めた時から全身関節痛で倦怠感が強くて、終日しんどかった。この時期は6月末が期限の重要なタスクが連続しており、さらに今日は会議デーだったので、低空飛行ではあったけれどなんとか仕事は遂行した。

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しばらく前の中学受験塾の先生が子どもに対する接し方のお話の中で、“must""will""can"という軸の違いについて話されていた。つまり“must"は“やらなくてはいけないことをやる“、"will"は“したいことをする“、"can"は“できることをする、という行動の志向性の軸である。

もちろん大人も子どもも誰でもみんなこれらのミックスタイプだろうけど、それでも子どもたちのそれぞれの傾向の強さを考えるとなかなか興味深い。そしてつくづく自分は“must"が圧倒的に強いタイプだと気がついた。“must軸は身体をこわすことが多い“とその先生が話すのを聞いて、心底から納得した。

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わたしは“must"軸ではあるけれど、“やらなくてはいけないことをやる“ことは自分の意思(will)である。例えば、今日だるだるで軋む重たい身体で“このまま寝ていたいな“と思ったけれど、“登校する長男を見送って、習い事前お弁当と長女の昼食を用意して、仕事に行かなくていけないから起きなくては“と意志力で起きたのは、わたし自身の選択だ。

よく言われることだけど、結局人生とは選択の積み重ねだと最近あらためて考える。結婚するorしない、どの職業に就くか、どの学校に行くかなどの大きな岐路から、いま珈琲を飲むか飲まないかはたまた牛乳を飲むか、などなどなど。日常は無数の選択と判断で構成される。そうしてその分岐の最先端が“いま“であり、いまの選択が“未来“に繋がっていく。そしてその選択をできるのは、いつでも誰でも“自分“である。もちろん様々な外的要因や置かれた環境による選択“肢“の違いは当然にあるけれど、決めるのは常に自分だ。

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ただ、なるほど“must"軸だなーと思う瞬間は多々あり、今日も夕食を作る余力がなくコンビニで購入してきたお惣菜を温めながら“こんな(食事)でごめん“とオットに謝ったところ、“そんなの気にせんでええって何回言ったらわかるんや“と言われた。何十回と繰り返している会話だったりする。そしてコンビニのお惣菜は十分に美味しいのだ。(以前だったらそれでも無理して夕食を作って倒れていたように思うので、楽をする選択をしたのは成長の証だと思う)。

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高校生〜大学生前半の頃に出逢った“我が人生の三冊“。“私の個人主義“は高校の現代文の授業で配られたプリントが出逢いで、衝撃だった。中高時代は暗黒だったけれど、現代文の先生に出逢えたことと英語力をつけてもらえたことは価値があったと思う。

“文章の話“は、通信制大学時代に繰り返し読んだ。また読み返そうかな。

…とこの二冊が圧倒的に自分の“基盤“になっている。

次点が“君たちはどう生きるか“で、これは母か兄に薦められたような気がする。最近また話題になっているのを、書店で懐かしく手に取った。