人生は何が幸いするかわからない

2021年9月8日(水)

長女の転校については、心の底から良かったと思っている。そして長女とは、“中学受験してよかったね。中学をあの環境で過ごせてよかったね“と話しており、それも心からそう思っている。

ただそれでもどうしても“ではどの時点でどうすれば長女にあんな辛い思いをさせずに済んだのかな?“と自問してしまう。オット氏に言わせれば“あなたは予見したかったんやろ?“ということになるし、そうなのかもしれない。そしてそう考えてしまうこと自体が親の奢りなのかもしれない。

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まもなく元がつくことになる在籍校は、小学5年生の時に初めて見学に行った時から本人も私たち親チームも気に入った学校だった。生徒ひとりひとりのことを尊重してくれる学校だと思った。一部分において、いまでもそう思っている。

ただ、“入学時の偏差値が比較的入りやすくて、大学進学実績の良い学校“が何を示すかの理解が乏しかったのは事実で、入学直後から長女は毎週大量の課題に追われることになった。真面目な長女には、私たち周囲の大人が思っていた以上に、その課題がプレッシャーだったのだといまならよくわかる。

通学も、小学生の時点では電車に乗ることに不慣れであった長女にはなるべく混雑しない路線で通えることが良いかなと思ったけれど、ただ我が家からその路線に乗るためには、駅までの交通手段が自転車しかない。そしてローカルな路線にはローカルなりの問題があった。土砂降りの雨の日にレインコートを着て駅に向かう長女を見送りながら、バスがある駅の方がよかったのかなと内心で思っていた。これについては自分自身も中高6年間の通学ではとても苦労したのに、同じ思いをさせてしまったと長女に対して申し訳ない。

もし入学前に予見できたことがあるならば、以上2点まで。あとは、入学後に校長先生が交代し学校の方針や校風が微妙に変わってしまったこと、突然ICT教育に力を入れ始め、そして学校側の試行錯誤に巻き込まれたこと、さらにきわめつけのコロナ禍とそれによるオンライン授業が長期化したことなどは、入学前には全く予見不可能だった。

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いまでも在籍校は良い学校だと思う。先生方は最後まで長女のことを応援してくれ、今後も卒業生として扱ってくれるだろう。いまだに長女のお友だちは屈託なく連絡をくれている様子で、きっとそのうちの数名は生涯の友になるのだろう。それだけであの中学校を卒業した価値がある。だから長女と話しているように、“中学校はあの学校でよかったね“なのだ。それ以上、考える必要はない(と自分にいい聞かせる)。

人生は何が幸いするかわからない。親はどうしても子どもに対して辛い思いをして欲しくないと願うけれど、子どもの歩む道に落ちている石を全て取り除くことはできない。長女は今回の辛い時間を経て、一気に成長したように思う。そして明るい出口を見出した長女は"学校に早く行きたい"と言っており、そのひとことがとても嬉しい。

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いつも帰結するのは同じ結論で、“その場その場での最善の選択を行い、問題が起こった時にまた最善の選択を考える“ことしかできない、仕事も家庭も、今までもこれからも。