”誕生日を知らない女の子”

@MBP
年末年始に読んだ黒川祥子”誕生日を知らない女の子”(集英社,2013)は、”虐待ーその後の子どもたち”という副題のとおり、家庭で虐待を受けた子どもたちが、児童相談所に保護されたあと、虐待の後遺症にどのように苦しめられ、そして乗り越えていくか、また児童養護施設や里親やファミリホームでどのような暮らしをするのか等を丁寧な取材にもとづきまとめられた一冊である。

正直に言って、衝撃であった。

本書では5人の虐待サバイバーな子どもたちの”その後”が紹介されている。
たとえば、タイトルになっている女の子は、ファミリーホームにきて初めて誕生日を祝ってもらうまで、自分の誕生日を知らなかった。

虐待サバイバーな子どもたちは、”普通”の子どもたちが自然に身につける様々な習慣を教えてもらう機会に乏しいまま育ってきてしまっている。例えば、お風呂の入り方、洗身や先髪の方法、トイレの作法等々。教えてもらわなければ、肛門の位置すら知る機会はなく、排便時の拭き方を身につけずに成長してしまう。親としては、こういうことをkとさらに教えているつもりはないけれど、幼児期に世話をされ、親の見よう見まねをするなかで私たちは身につけているのだ、だからその機会を奪われると身につかないのだとガーンと文字通り音が聞こえるほど衝撃を受けた。

それだけではなく、乳児期に養育者(多くは母親)とのあいだに築かれる”愛着の関係”という人間としての基盤がなく育ってしまうことの深刻すぎるほど深刻な影響。その具体的な内容が綿密なルポにより本書では描かれている。

”「殺されずにすんで」児童相談所によって保護された子どもたちは、それで一件落着なのか。そうではなかった。”(24頁)

うかつにも私は、それで一件落着なのだと思い込んでいた。保護された子どもたちのその後は明るいものだと信じていた。でも現実はそんな甘いものではなかった。

虐待サバイバーな子どもたちの過酷すぎる現実が描かれているなかで、救いは医師や里親やファミリーホームの”両親”など、子どもたちを受け入れ、理解し、支えようと奮闘されている大人の存在。自分だったら到底できないと思いながら、頭が下がる想いで読み進めた。

読みながら、また読み終えて、自分に何ができるのかと考えた。そしてまずは何よりも自分の子どもたちともっと丁寧に接しよう、子どもたちとの時間を大切にしようと思った。それから周囲の子どもたちの存在を感じて、もしも本書に登場するような子どもたちと出逢ったら、再度本書を読んでできるだけ適切に接したい。いまの私にできるのはその程度しかないけれど、折に触れて本書を読み返して忘れずにいたい。

全ての児童福祉関係者、教育関係者、それから親や保護者は必読の一冊。そしてその他のどなたでも、より多くの大人のみなさんにも読んでもらいたい。お正月に読了した本だけど、早くも今年一番読んでよかった本である。

誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち

誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち