低空飛行

最近、自分の仕事に対するモチベーションが下がり気味なので困っている。どちらが先かは分からないけど、自分の思考能力が落ちていて、業務効率が下がっていることにも困っている。

マクロ的な背景としては、社会福祉法人をめぐる様々な動きのなかで、仕事に対する非常に根本的なやる気を社会的に失わされているような気がしていることがある。おそらくこれはこの時代に、社会福祉の現場で働く人々の多くが、多かれ少なかれ感じていることだと思う。特に介護の現場では、もれなく全員が感じているのではないだろうか。

個人的ミクロ的な背景としては、業務上の自分の動きや発言が、何故か誤解されて、本当に伝わって欲しい複数の相手に伝わらないこと。そこには故意に誤解させようとしている動きもあるような気がするけど、これは私の猜疑心なのかもしれない。どちらにせよ、良かれと思ってここまで頑張ってきたけれど、何だかもう何もしない方がよいのかな〜などともついつい考えてしまう。この辺りが、かなり低調な証拠。

一般的に、組織人には"エラくなりたい"という欲求を持っているヒトが多いと思うけど、勤務先法人のコアに近い部署で働いていて、"エライ"人々の仕事を間近に見ていると、正直その欲求は全くなくなり、"エラくなんてなりたくないな〜"と思ってしまう。この場合の"エライかどうか"ということは、要するに決裁権のレベルの上位だと理解しているけど、決済には必ず責任が伴う。本来は、その責任を背負う覚悟ナシには、判断や決済はしてはいけないのだと思う。気軽に"エラくなりたい"とか、"上層部は…"などと言う人々は、きっとそのことに気がついていないのだと思う。

ただ、これもまた一般論として、多くの組織にはその責任を自覚していない"上層部"の人々がいるのも一面の真実。別の表現をするならば、組織の中での"エライ"ヒトは、単に役割分担として上位の決済権をもつだけであり、別にヒトとして絶対的に"エライ"わけでも何でもない、ということが忘れられがちなのかな〜と思ったりする。

そこで生じるのは、責任とは何か、という疑問。私は個人的には、責任とは"判断ミスをしたときにリカバリできること"だと思っている。そのリカバリというなかには、自分自身の力では対応できないときに解決能力を持つ他者に助けを求めることも含んでいる。そこで自分の力を過大評価したり、自分の判断ミスを隠そうとすると、最初は小さかったミスは雪だるま式に大きくなってしまうのはよくある話。

自分自身も一応"中間リーダー層"の一員を担っていて、判断をしなくてはならない場面は多い。正直に言って、今のような精神的低空飛行のときには、そういう立場から逃げ出したくなって、"9時〜16時までのパートのおばちゃんになって、毎日夕食作ってからポコンたんをお迎えに行けたらよいな〜"などと夢想してしまう。しかし相方氏に冗談まじりにそう話すと、"貴方には無理。3日間でフルタイムに戻りたくなる"と一言で却下されてしまうのだった。

確かに困難を乗り切った後の達成感や充実感というものに対して、一種の中毒状態になっていることについては自覚している。なので、多少しんどい生活ではないと、我慢ができなくなるという非常にヘンな傾向になっているのであった。ということは、結局低空飛行なときは低空飛行なりに乗り切って、やはり這ってでも前へ進まなくてはならないということか。やはり、毎回出る結論は同じだ。