老いを感じるとき

約20年前に書いた学部時代の卒論のテーマは”安心して老いるために”で、そのときに大学の教員の先生方や老若男女問わず身近な知人にアンケートを行った。いまから考えると、卒論といえども単なるレポートで、調査の設計についても指導を受けておらず、調査というより本当に単なるアンケートだったけど。

そのなかの設問のひとつで、”初めて老いを感じたのはどんなときか”と”それは何歳頃か”という質問をさせていただいた。40代後半以降の方で圧倒的だったのは、41〜45歳くらいで視力に関することだった。ちなみに当時の自分と同じ20代女性の回答で複数あったのは、肌に関することだったと記憶している。

そして最近自分が、やはり目からきてるなぁ、あのアンケートでみなさんが書かれていたことはこれか、この瞬間か!!とわかってきた。去年あたりからジワジワきていたけど、先日、あいほんで写真を撮ろうとして、裸眼でよく見えなかったときの衝撃。

1993年に初めてスウェーデン行ったとき、0歳からだんだんに階段を登っていき、40代頃がピーク(階段の一番上)で、あとはまた階段を下りていくという図案を見て非常に印象に残っているのだけど、身体的な老いはまさにそんな感じ。子どもたちが成長していくのと反比例して、自分たちは老いが開始していく。とはいえ成長と老化は連続しているので、どこまでが成長でどこからが老いになるのか。いままでできなかったこと(文字を読めるようになる等)ができるようになることが”成長”で、反対に今までできていたこと(裸眼で新聞を読む等)ができなくなることが”老い”と呼ばれるのか。

一方で、不惑を過ぎても惑い放題、毎晩毎晩ひとり反省会な私でも、仕事については勤続15年を過ぎた数年前あたりから少しずつ手応えを感じられるようになってきた。これはこれで、”老い”というか加齢のひとつの効果だろう。だから歳をとることは決して嫌いではない。

誰もが、誕生して、成長して、老いて、そして死を迎える。不幸にしてその途中でスキップしてしまう方もたくさんいるけど。この時間の流れが自然の摂理なのだなと最近あらためて実感している。