不安が一杯

昨日通勤を再開したところ小さな体調の変化があり、あまり気にしてはいなかったのだけど、母に話したところ"少しでも変わったことがあったら病院に連絡した方が良い"と顔をしかめて言われてしまったので、急遽明日通院することにする。胎動もぽこんぽこんしているし、netで調べたところ、妊婦にそういう体調の変化は多いようなので、さほど心配はしていないけれど、確実路線をとるに越したことはないという判断。

先日の母親学級で、講師の医師が"妊娠はバラ色と思いがちだけど、実はダークな面も一杯あって"と流産や死産の話をしてくれたけど、自分にとっては、最初から一度も手放しでバラ色などとは思ったことがない。もともとwilson病を抱えているうえに、そのための銅キレート剤は継続せざるを得ず、wilson病の主治医からは"何十人も出産している患者さんを診てきたから大丈夫"と太鼓判を得ても、産科の担当医からは初診時に"ハイリスク妊娠"などと言われてしまったし、友人たちからは色々な出産にまつわるトラブルを聞いているから、妊娠当初から手放しでなんて喜んだことがない。さらに自分自身も切迫流産したし、さらに入院中に余計な知識が増えたから、心配の種はつきない。安定期に入ったとはいえ、正直無事に産まれてくるまでは、不安が一杯である。それでも最近は、胎動を感じると少し安心できるけど。

鴨居まさねの"sweet デリバリー"で主人公の美与子さんが妊娠して、"どこかに隠れてこっそり産んできてしまいたい 無事にちゃんと確実に生まれるまでおめでとうとか言わないでほしい"という台詞があるけれど、時折その気持ちはよ〜く分かるなぁなどと思ってしまうのである。産まれたら産まれたで、私の両親が未だに私のことを心配してくれているように、いくつになっても子どもの心配はし続けるのだろうし、何というか妊娠した瞬間から親業は始まっているような感じ。相方氏ともよく話すけど、自分たちが親の卵になって、自分たちの親の気持ちが前よりもっとよく分かるようになったように思うのだ。

でももちろんずっと心配していたり不安に思っているわけではなくて、もう最大のヤマは乗り切ったし、中のヒトの生命力を信じている。多くの時間は幸せで楽しみに思っているし、妊婦話やママ話などで盛り上がるのは今まで知らなかった新たな世界でこれも楽しいのだ。