"こうのとりのゆりかご"

時間がないのでまとまらないけど、自分のメモ的に。

"赤ちゃんポスト"というか"こうのとりのゆりかご"については、周囲では反対の声しか聞かないのだけど、私は反対というのは簡単だけど、一概に反対はできないと思っている。もしかしたら自分が"ハハオヤ"になっていなければ、単純に反対していたかもしれないけど。

"ポスト"というネーミングはよろしくないと思う。だけど設置自体には、簡単に反対できない。自分自身も育児をしていてつくづく思うのは、もしひとりだけで子どもとずーっと向き合っていたら、完全に追い込まれていく、ということ。私が虐待をしないで済むのは、周囲が支えてくれる環境であることと、子ども家庭支援センターや児童相談所などの"いざというときの駆け込み寺"があることを知っていることのためだ。

乱暴かもしれないけど、家族の協力もなく、地域の支援もなく、本音で話せるママ友もなく、しかも専業母親で24時間365日の時間を完全にひとりだけで乳児と過ごしていたら、もしくは"ひとりだけだ"と自分で思ってしまったら、そしてさらに10代や20代前半などの若い母親だったら、それは育児放棄をしたくなって当然なのだ。もちろんそういう状況できちんと育児を行っているヒトだっているだろうけれど。でも。

何より取り組まなくてはならないのは、そこまで追い込んでしまう環境や状況。そこが手をつけられないままになっているから、設置病院はやむを得ず"こうのとりのゆりかご"の存在によってひとりでも二人でも救われる子どもや親がいるのならば、と考えたのだと、その考えは非常に共感できる。それはきわめて福祉的な発想で、"本当に困っている人への支援"のひとつの形だからだ。だからこそ、"こうのとりのゆりかご"の中にはお母さんへの手紙が置かれ、ドアの外には相談機関の連絡先を掲示し、インターホンも設置していることに、本当に最終手段として設置していることが現れている。

設置翌日の今日、3歳近い男児が早速預けられていたという。厚生労働省の担当者が"児童相談所に相談してくれれば"とコメントしていたことについて、母が"普通のヒトは児相なんて知らないわよねぇ"と言っていたけれど、それは全くその通りだと思う。

"こうのとりのゆりかご"が大々的にメディアに取り上げられている今こそ、その是非を論じる前に、児童相談所や子ども家庭支援センターや母子生活支援施設などが一同に周知キャンペーンを行う必要があるのではないのだろうか?その絶好のチャンスだろう。

そしてこれは別に児童の問題だけではなくて、全ての福祉関係者に問題を突きつけている。本当に必要な人々に存在を知らせる努力は十分になされているのか、と。なのに私の職場でも気軽に"あれはちょっと…"と反対の声が聞こえるのが寂しい。

ちなみに母は"3歳近い男児が早速預けられていたという情報"自体が本来は公表されるべき内容ではないと言っていた。さすがだ…。