100歳の大往生、されど訃報

私が誕生する前年くらいから、母が本格的に仕事を始めたため、私は小さい頃、母の職場のお年寄りと接する機会がとても多かった。なので当時の母の職場のお年寄り全員の孫のように可愛がってもらっていた。そのときの経験がなかったら、今の仕事には就いていないと思う。あれは私の原点の風景。

特にIさんとMさんとOさんは、私のことを可愛がってくれた。Iさんは、ねんねこに包まってゼロ歳くらいの私をおんぶしている写真が残っているくらい可愛がってくれていた。実の祖母は、当時迫力に満ち満ちていて、めちゃくちゃ恐い存在だったので、私にとってはIさんが無条件に甘やかしてくれる優しい"おばあちゃん"だった。Iさんは私が12歳のときに、私自身が骨折で入院していた同じ病院で、逝去されてしまった。Mさんは数年前に逝去された。

そして昨夜、Oさんが逝去されたという訃報が届いた。100歳で、だけど常食常菜の普通のご飯を食べて、杖や歩行器を使ってでも自分の足でかくしゃくと歩き、ボケなどとは無縁で、おしゃべりを始めれば留まるところを知らず、かっこいい若い男性が大好きで、毎月毎月マメに俳句を読まれていた。来月4日が101歳のお誕生日で、お祝いを迎えられなかったのが残念と周囲の方が言っていた。

Oさんは、14日にとあるインタビューを張り切って受けたのに、その後で意識不明になって入院し、昨日とうとう帰らぬヒトになってしまったらしい。意識不明になりながら、自分で白い布をかぶって"これで安心して逝ける"とつぶやいたとか、いないとか。お年寄りのたくましさ、すごさ。

私が最後にOさんに会ったのは、もう数ヶ月前のことだけど、いつもいつも"もういつ死んでもいいんだ、ぽっくりいけさえすれば"と言っていた。その願いが叶って、Oさんは100歳の天寿を見事に全うした大往生だったのだと思う。

だけど、残された側にとっては、もちろんいつかは来る日と分かってはいたけれど、突然のこと。とうとう最後の"おばあちゃん"がいなくなってしまった、と無性に寂しくなるのだ。元気なときには、終わりがなくループするおしゃべりを聞きながら、時間に追われている時にはうんざりしてしまうようなこともあったので、全く勝手だけど。

祖母のときも同じだったけれど、今回もまた"もっと会いに行けばよかったな"と、その存在を失ってから思う。後悔先に立たず。一期一会。それでも去年ポコンたんと相方氏を紹介することができて、ポコンたんを抱っこしてもらえたので、少しは"おばあちゃん孝行"できたかな。

お通夜には参列できなかったけれど、きちんとお別れができて、30数年間のお礼を伝えられて良かった。

0さん、100年間お疲れ様でした。空の上でIさん、Mさんや他の皆さんと再会して、昔話に花を咲かせて下さい。数十年後(?)には私も行きます。また会いましょう。安らかに…。

合掌。