帰省:2日目"戦争の記憶"

今日は、おじーちゃんとイトコのお姉ちゃん(小学校4年生)と我が家の3人組にて、舞鶴に向かう。途中の市場で昼食にいただいたお鮨はめちゃ美味しかった。

舞鶴港は第二次大戦時の引揚港であり、"岸壁の母"の場所であることは、相方氏と結婚する前に初めて相方氏実家に挨拶に伺ったときに教えてもらった。今回は、"舞鶴引揚記念館"に連れて行っていただく。記念館は3歳児には退屈な場所でしかないので、おじーちゃんとイトコちゃんが外の展望台に連れて行ってくれたり相手をしていただき、相方氏とゆっくり展示を見学させていただいた。感謝。

展示の最初に大戦開始直前の社会・経済状況についての記述があり、現在の状況に通じるものが多いことをあらためて実感してしまった。空恐ろしい。

展示内容のなかで、最も印象に深かったのは捕虜郵便という収容所から国内の家族に宛てた実際の手紙の数々。両親を、妻や婚約者を、子どもたちを案ずる想いに溢れる文面。ひとつひとつの手紙を読んでいたら、戦争だけは絶対にしてはいけないし、その記憶を風化させてはいけない、風化したらいつか絶対繰り返そうとする愚かな人たちが現れてしまうと強く思った。

私の母方の祖母は、あと少し何かのタイミングが違っていたら、軍属だった夫とともに満州に行くところだったらしい。すでに荷物は送っていたとか、満州に行くために馬に乗る練習を始めようとしていたなどとも聞いたことがある。もし本当に満州に渡っていたら、今頃祖母はもちろん、母の人生も大きく違っており、おそらく兄や私は存在しなかったのではないだろうか??

残念ながら父方の祖母からそういう話を聞かせてもらう機会をもつことはできなかったのだけど、それでも父からは幼い頃に空襲の焼夷弾から逃げ回った話などを聞かせてもらったことがあるし、相方氏の祖父にいたっては実際に戦死している。そして私たちがいつも泊めていただく相方氏の実家の部屋にはその方の軍服の写真が飾ってある。

つまり、戦争の記憶を、私たちの世代は祖父母世代から直接聞いた経験を持っている。だけど、ポコンたんの世代になると、その経験をもつことはできなくなる。そういう世代の人たちが権力を握るようになったとき、どうかどうか判断を誤らないようにと祈らずにはを得ないのだ。

そして現在の自分を振り返ると、勤務先法人は戦争浮浪母子の保護がそもそもの始まりであり、戦争からの復員兵を受け入れたことが高齢者福祉への取り組みの第一歩だったはず。"舞鶴引揚記念館"での引き揚げの様子を記録した写真を見ていて、"ああ、そうか。こういう時代から続いているのだな…"とあらためて考えてしまった。