夢をしまっておくということ

早10年以上前になるけれど、社会人大学院生として博士後期課程の1年〜2年目に在籍中にスウェーデン留学した。帰国後はフルタイムで復職して新規施設の開設業務に忙殺されたので、後期課程では全く研究活動をしないままに、4年目に出産のために退学した。留学時代は100%全力を出し尽くした感はあるものの、博士課程自体は中途半端に終わってしまったので、育児が一段落したら大学院に復帰して、できれば博士論文をまとめたいというのが自分の大きな夢。

この10年間、この夢は常に自分の側にあって、だからこそ大学院時代の書籍も手放せなかったし、だからこせめてインプットは再開しなくちゃ、と悪戦苦闘していた。

数週間前のある夜、自分のなかのエネルギーが枯渇していることを自覚したことから、”自分のなかのモノサシ”の整理を色々なカタチで始め、その結果、”もう少し楽に生きてもよいのではなかろうか”という結論に至った。家族や周囲の友人たちからは散々言われてきたことなので、周りからは呆れられそうなのだけど。

モノサシの整理の一環として5ヶ年計画を作ったところ、有限な時間(と経済力)においては少なくともあと5年間のあいだに大学院に戻るなんていうことは到底無理、ということが目に見えて明らかになった。否、仕事の優先順位を下げて、専業研究者に方向転換するつもりならば可能だけど、そうではなくてむしろ今後ますます仕事は冷静に取り組まなくてはいけない状況になりつつあるので、家庭と仕事と研究の両立を目指そうとするならば、三兎追うものは一兎も得ずになりかねない(無理に追えば健康を害する可能性が高くて、それは最も避けなくてはならない)。

だから社会人大学院生に戻って、研究を再開したいという夢は当面しまっておくことに決めた。あきらめたわけでも手放すわけでもないけれど、ただ”いま”は無理だから、しばらくの間はその夢は脇においておく。そんな整理ができたら、”やらなくては、でも今日もできなかった”の繰り返しがなくなって、少し楽になった。

おまけ。今回気がついたのだけど、無理にでも追いかけようとしていたのは、子どものせいで何かをあきらめたというのはイヤだったのだ、きっと。今回は”自分”のためにしまっておくことにしたので、スッキリ。