映画"劇場版プリパラ み〜んなのあこがれ♪レッツゴー☆プリパリ"を見てきました

日曜日の午前中に、ムスメのリクエストにより映画"劇場版プリパラ み〜んなのあこがれ♪レッツゴー☆プリパリ"を子どもたちと三人で見に行きました。”プリパラ”のテレビ放映は、私は一緒に見ていないので、設定も物語も前情報がほとんどない状態だったのですが、”草薙素子”もビックリのサイバーパンク作品だったので、十二分に楽しんでしまいました(笑)

映画を見に行くまでは”アイカツ”との違いがさっぱりわからなかったのですが、”アイカツ”はアイドル育成学校に通うアイドルたちが、アイカツシステムを利用してアイドル活動する設定なので、物語のなかの”現実”。だからアイドル活動(アイカツ)するために、主人公たちはランニングもすればダンスの練習もします。

比べて、”プリパラ”は、物語のなかの”現実”では普通の女の子たちがお店の機械にチケットを通すことで、”プリパラ・シティ”という仮想空間にアバターとして転移され、”プリパラ・シティ”のなかでは全員がアイドルとして活躍する(そして主人公は当然トップアイドルメンバーのひとり)という設定なので、その世界観を理解した途端にぶっ飛びました。

素朴な疑問としては、主人公たちが”プリパラ・シティ”にいる間、”現実”の肉体はどうなっているのかということで、ついお店にはカプセルが並んでいるイメージが浮かぶのだけど、映画のなかで事故により”プリパラ・シティ”から跳ね飛ばされ現実に出た主人公たちが、世界中の”お店”を探して各地で”プリパラ・シティ”に入りなおしていたので、考えるだけ野暮な疑問だったらしい(苦笑)

”プリパラ・シティ”と”現実”とをつなぐゲートとなるお店にはめが姉さんというシステムのアバターがいて、”プリパラ・シティ”側にはめが兄さんというシステムがいる(ちなみに両方眼鏡をかけている)他、さらに”アイドルになりたい女の子たちの気持ちが生んだ”というAIのアイドルまで登場するのでありました。

そして映画館から出て、トイザ○スに立ち寄ってみれば、入り口には”プリパラ”のゲーム機が置いてあり、そこにチケットを入れることで、作品そのままにアバターを”プリパラ”に作ることができる、という仕組まれ方に、非常に今更なのだろうけれど、くらくらしてしまったおかんでした。

話は少し変わるけど、一点だけ気になったのは、”プリパラ”では(”アイカツ”でも)活動はグループやユニットで行われ、”敵”や”ライバル”は登場しない。ひたすらに”友だちと一緒に仲良く”の世界観。真面目な親としての想いはお互いの違いを尊重する価値観を子どもたちには持って欲しいと願っているので、あまり嬉しくない。不真面目な感想としては、自分が小さい頃のアイドル作品であった”クリィミーマミ”はソロ活動だったのだけど、どのあたりからグループ活動の作品に変遷していったのかな。昔は、魔女っ子も(仲間や弟はいながらも)みんな単身で悪戦苦闘していたので、そんなに群れなくてもよいのでは、と思ってしまいました。

ちなみにこのエントリを書くにあたり検索したら見つかったのが、"サイバーパンクの定義論と『プリパラ』"という論考で、こちらはもっと真面目に論じられているので興味がある方は是非。