東日本大震災の日

※これを書いているのは3月15日。この先何十年経っても忘れないように、自分のために書いておく。

その瞬間、私はサニスケを連れて某駅前で発車待ちのバスのなかにいた。最初はバスのエンジンがかかって揺れているのだと思い、次の瞬間に窓の外の電線が激しく揺れていることに気づいて、"え?地震??"とつぶやいたら前に座っていた女性が"えー?"と振り向いた。内心"ついに(東海道大震災が)きたか"と思い、とっさにバギーで熟睡しているサニスケのうえに覆いかぶさった。サニスケはずっと熟睡を続けていたので、車内のおばさま方から"将来大物になるわよ"と声をかけていただいた。揺れが収まった段階で相方氏と実家の父に携帯メールで無事を連絡。続けて母に送ろうとしたら、その時点ですでに送信不能。窓の外には、建物から人々がみんな出てきて、みんな携帯を手にしている。

この数分前にたまたま電車でなくバスを選択したおかげで、無事に帰宅できた。ここで電車を選択していたら、と考えるとぞっとする。バスはいつもどおりに走ってくれたけど、車内でずっと"万が一また地震がきて走れなくなったら、バギーと荷物を捨てて、歩いて保育園へいかなくては"と道順を考えていた。たとえバギーでの外出時でもコンパクトな抱っこ紐は必須だ。

ネット上の某所で北海道から関西までゆれていたことを知り、尋常ではない地震だったことはわかったけれど、まさかここまでの事態になっていたとはこの時点では全く知らず。帰宅して、上着を脱いで、ほっと一息ついた瞬間にまた揺れを感じる。震度を知るためにテレビをつけたら、信じられない光景が広がっていた。

サニスケが空腹を訴えるので授乳をしてから、実家へ顔を出し父を安心させて、早めにポコンたんを迎えに。都内に出張していた母の無事を父から聞いてほっとする。相方氏からもひとことのメールが届いたけれど、その後は一切メールは送信できず。その後、まれに送信できたメールも、届いたのは数時間遅れだった。携帯メールは災害に強いという評判だったけど、都内が被害にあうとパンクすることを理解した。東京は災害ダイアルも設置されなかったし、こういう場合の家族との連絡手段の確保が個人的には最大の課題。相方氏がスマートフォンを持ってくれればskypeやtwitterなども使えるので助かるのになぁと思っている。

保育園にポコンたんを迎えに行くと、普通に部屋で遊んでいた。"地震こわかったでしょ?"と聞くと"ううん。なんでままぃ早いのー?"とケロリとしている。"普段の訓練と先生方の配慮の賜物だと思う。深く深く感謝。この時点では先生方はテレビを見ておらず、"電車が止まると迎えが遅くなる方もいらっしゃるでしょうねぇ""そうですねぇ"などという会話を交わして退園。

帰宅していつものとおりテレビをつけたポコンたん。普段見ている教育テレビすらも震災報道になってしまい、がっかり。こちらは呆然と見入ってしまい、余震が恐くてガスを使う気がおきず、ポコンたんとおやつを食べる。なんだか現実感がない。オトナが自分だけで、幼児と乳児をかかえて、いま大きな地震がきたらどうやって二人を守ろうかとそればかりを考えていた。

19時過ぎに、突然相方氏帰宅。会社が早く終業になり、1時間かけて歩いて帰宅したとのこと。顔をみたら、ほっと肩の力が抜けた。その後は夕食、入浴、寝かしつけと我が家は日常の活動に戻った。テレビで震災報道をみながら、ポコンたんとトランプで遊ぶシュールさ以外は。

そして前日までの日常は過去のものとなり、非日常が日常となる。それでも被災地の方を思えば、家族と自宅で過ごせるだけで本当に本当に幸せなのだ。