台風襲来

2024年8月16日(金)

天気予報がやたらに大騒ぎしていたけれど、関東直撃コースはそれていった。それでも島嶼部や千葉県あたりは結構激しい様子なので、被害が出ないことを祈る。

朝は豪雨だったので、先日購入したmont-bellのレインコートを着て出勤。着用部は全く濡れずに済んだので、質の高さにあらためて感激した。春に購入した別の登山メーカーの街歩き用のスニーカーも雪でも雨でも全く滑らず雨が染み込むこともなく、そして歩きやすい(ただし真夏は暑い)ので、すっかり最近は登山メーカーのファンである。

長女は今日から大学のお友だちと一泊旅行。高速バスが運休になったと、特急を手配して出かけた。豪雨なのに、足元はサンダル+レースの白いソックス、胸元にはサングラスという出立で、楽しみにしていたことはわかるファッションだった。その後、無事にお友だちと合流し、現地に到着した旨の連絡があったので、安堵した。

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先週末の三連休から気持ちがとても軽くて穏やかで呼吸をすることが楽だった。その理由が何かというところから最大のストレッサーがどこにあるか、ということを明確に認識してしまった。

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なぜ妻/母はケア「する」側なのだろう。なぜ夫/父はケア「される」ことを「当然に」享受するのだろう。そこが完全に非対称で、特にケア「される」側にそれを「当たり前」に甘受されることに、そして家庭生活を維持するためにそれを見て見ぬふりをするたびに、言葉を飲み込むたびに、わたしのなかで何かが削られ、何かが壊れる。

仕事につながっていくれど、「家庭」の本質的機能のひとつは労働力の再生産なので、それは現在の労働力と将来の労働力の再生産という二重の意味をもつけれど、それ故に家庭に「ケア」機能が求められる。特にこの国ではその傾向が極端に強い。そしてその役割(ジェンダーロール)の固定化が強い。…という一般論を体感している。

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それでも完全にストレスのない人生なんてありえないのだから、なるべく楽に過ごせるように手抜きをして、「あるべき姿」ではなく、自分が「楽」である方を選択していこうと思う。

 

↓「MIU404」「地面師たち」となぜか綾野剛続いているので、見ている


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