正しいことが常に正しいわけではない

今週末は久しぶりに長女と一緒に過ごす時間がたくさんあり、笑顔を見る機会が多かった。長女がイヤホンを外して一緒に夕食の準備をして、家族揃って食卓を囲む、サニスケと三人で和気藹々と勉強タイムを過ごす、とてもとても幸せだった。

今朝、定刻に登校しようとする長女が“あまり眠れなくて“と言った。“家で寝てると欠席だけど、授業で寝れば出席だから大丈夫だよ“と言って送り出した。自転車を漕ぐ長女の背中で揺れるポニーテールを見送りながら、ああそっか、と気が付いた。今までのわたしだったら“眠くても授業はしっかり聞いてね“などと、“客観的に正しい正論“を口に出していただろうと思った。きっとそれは生真面目な長女にとって、わたしが思う以上にプレッシャーでしかなかったのだろう。

長女の気持ちを楽にしてあげること。それが笑顔の長女を取り戻す道なのだ。

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…と朝に気が付いたはずだったのに、夜にまたやってしまった。この週末の夜が楽しすぎて、幸せすぎて、またあの幸せな時間をと欲張ってしまった。今夜も学校の話を聞きながら夕食を食べて、それだけで充分だったのに。寝不足で、久しぶりのフルタイム登校で、疲れていたのだから、早く寝かせてあげることが最優先だったのに。

それでも応えようとしてくれたことには感謝しかない。けれどもタイミングが悪く、結局辛い思いをさせてしまった。直接の原因はわたしではないのかもしれない。それでも今夜、あの時、もっと違う言葉をかけてあげれば違う展開になっていたのではなかったかと、どうしても涙が止まらない。

しかもその余波でサニスケにも余計な気を遣わせてしまった。明日はまた笑顔で過ごそう。何が起こっても何とかなる。肝っ玉かーさんでいこう。