“無理に学校に行かせなくていい“

2022年8月10日(水)

今日は仕事は休み。午前中は洗濯や読書、午後は病院巡りと銀行など。気にかかっていたいくつかのタスクを片付けることができたので、良い休日だった。

この数日首肩背中凝りが悪化してしんどいのでSNSから離れていたら、読書が捗った。画面を眺めるのは同じでもKindleの方が首と背中はつらくないのが不思議。

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今日読んでいたのはこの2冊。“無理に学校に行かせなくていい“は小学生から中学生まで登校できず、書籍時点では通信制高校に通っている息子さんについてお母さんが書かれた本。「考え方を変えることで、不登校を気に病まずに親子で楽に生きられるようになった記録」とある。他の同種の体験談より親としての視点や視野の広さに共感できると思いながら、作者の経歴を確認したら上智社会福祉専門学校卒で、元々は社会福祉施設で指導員や事務をされていた方だった。納得。

この方はおそらく小学生低学年のお子さんが学校に行かず自宅で過ごすようになり、在宅でできるライター業に転職されたと推察される。わたし自身も仕事については散々悩んだからよくわかる(いまでもたまに迷う)。ただ我が家の場合は高校生なので、わたしが在宅ワークに転職して収入が減るより、いまの仕事で収入を維持する方が子どものためになると判断した。どのような進路にせよ資金があるほうが選択肢は広がる。職場と自宅が近いので何かあればいつでも戻れることも加味した。

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“学校は行かなくてはいけない“という考え方(価値観)から解放されることで、まず親が変わり、そして家庭や親が安心できる場所になると子どものなかに少しずつエネルギーが貯まりはじめ、その後に子どもが動きはじめる、というのは我が家でも体験したこと。

本書にも書かれているけど、最初は朝の腹痛から始まることが多い。その時点では、親子ともわからない(もっとも長女は、ここで休むとずっと行かれなくなりそうな気がする、と何回か言っていたことがあった)。親子とも、登校するのが当然、という考え方(価値観)が根底にあるから、親は当初はなんとか行かせようとする。子どもは自分でも罪悪感があるうえに、できないこと(登校)を親からするようにと言われて、エネルギーがどんどん削られ、身動きがとれなくなる。その様子をみて、親も混迷を深め、しんどくなる。

だから、登校できなくなったときには、親が「登校するのが当然」という価値観から離れて、目の前の子どもを全肯定することで、まず親がラクになれる。

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おそらくここまでが第一段階で、第二段階は子ども自身がエネルギーを蓄積する期間。ここの過ごし方は、子どもと家庭によりそれぞれ。長女はひたすら眠り、プロセカという音ゲームをやりこんでいた様子(わたしも何回かやらせてもらったところ、脳のリソースはあまり消費せずに没頭できるので、わかる。テトリスなどのゲームが鬱からの脱出期に有効という話を読んだ記憶もあるので、それに近い感じだったのかもしれない)。そして、子どもがエネルギーを十分に回復すると、自然にまた外に向けた活動を模索する、これが第三段階。登校できなくなる理由と第二段階の過ごし方と期間は子どもにより千差万別だけど、(完全に疾病起因な場合を別として)おおむねプロセスとしてはこんな感じで共通しているように思う。

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わたしが比較的すぐに切り替えられたのは、社会福祉の仕事(限られたリソースを最優先課題の解決に充てるのが仕事としての本質)をしていることや自分の経験などの要因もあるけれど、“学校に行かれなくなるのはエネルギー切れのため“と知っていたことが何よりも大きかったな、と改めて本書を読んで思った。

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ただ、自分の学生時代より選択肢の幅は広くなったとはいえ、この国の社会において多数派でない選択肢を選んで生きるのはなかなかに難しい。しなくていい苦労をするのも事実。だからこれはあくまで、どうしてもどうしてもどうしても、登校ができなくなってしまった場合の話。念のため。