"太郎が恋をする頃までには…"

今日の通院の移動時間と待ち時間で、栗原美和子"太郎が恋をする頃までには…"(幻冬舎文庫,2010)を一気に読了。新聞の広告でタイトルに目をひかれ、被差別部落問題の内容と知り、書店で購入。

栗原美和子という著者については全く知らず、名前を見たことのない作家さんだな〜と思いながらカバー見返しの略歴を読んだら、テレビのプロデューサーらしい。華やかな業界出身の割に、難くて重い内容の小説を書くのだな〜と思いながら読み進んでいった。ところが主人公の今日子のパートナーのタロウが独白する幼少時の被差別の体験があまりに細部にわたっており、これは筆者本人の体験に基づくか、私小説だなと気がつき、あとがきにてやはり"私小説"であることを知る。

単行本版の表紙では、実際の栗原氏と村瀬太郎氏("反省!"で有名な猿回しの太郎次郎の太郎氏である)の結婚式の写真が使われているようだけど、文庫版では植物画になっていて、おそらく私は単行本の表紙の文庫だったら単なる芸能人の体験本と見過ごしてしまっただろうなと思う。

部落問題というと、自分にとっては島崎藤村の"破滅"よりも住井すゑ氏の"橋のない川"と白土三平の"カムイ伝"なのだけど、ちょうど相方氏と出会った頃に"橋のない川"を読んでいて、結婚前の挨拶をするために京都駅から相方氏の実家のある丹後へ抜ける電車の駅の名前に"橋のない川"で登場する地名がいくつかあり、ああ、なるほど水平社宣言が行われたのは京都だったなぁと思いを馳せていたことを思い出す。

"橋のない川"や"太郎が恋をする頃までには…"で描かれる"差別"の実像は、あまりに壮絶というか、"橋のない川"の描いている時代ならともかく、本書でタロウが独白している体験が1961年生まれの村瀬太郎氏の実体験だとするならば、言葉が出ない。

ただ少なくともいえるのは"差別"という問題は、絶対に他人事ではなく、誰でも当事者になりうる問題であること。そして差別をなくすためには、陳腐かもしれないけれど、まず差別の存在を知ること、それから"違い"を許容し当然とする社会にすることだと思う。その点で、現在のこの国は、歴史に逆行して、ますます窮屈に、ますます差別を生む環境を強めているように感じるし、その先に辿り付く社会のあり方には心底から恐怖を感じている。

追記:よんひゃんさんが某所で紹介されていた"差別は客観的に定義できるか"というエントリを読んで、上で書いた自分の内容の浅さ加減にがっくりきたり。差別の客観的定義か…。社会福祉の定義もあるような、ないようなだけど、それより数百倍は難しい…。

太郎が恋をする頃までには… (幻冬舎文庫)

太郎が恋をする頃までには… (幻冬舎文庫)

橋のない川〈1〉 (新潮文庫)

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カムイ伝 (1) (小学館文庫)

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