余裕のなさに泣ける夜

今日は冬至だったので、入浴後にサニスケが“柚子を入れて入りたかったな“とボソリとつぶやいた。

ごめんね、用意できなくて。週末にスーパーで見かけて買おうとしたのだけど、毎年どこかから届くから伸ばした手を引っ込めてしまったんだ。来年は必ず柚子と南瓜を用意するから勘弁ね。

今夜は土星と木星が並ぶ天文ショーがあった。子どもたちと見ようと思っていたのに、夕食の支度と片付けと冬季講習の振込にバタバタしていて、気がついたら沈んだ後だった。自宅のベランダからでは見られなかったかもしれないけど、でも見えていたなら子どもたちの記憶に残ったのではないかな。何よりわたしがいっしょに夜空を見上げたかったな。

先日、平日の休みの日に子どもたちが帰宅する時間に在宅していた。サニスケに“いつもこんななら良いのにね“と話しかけたら、“ほんとうにね“と返された。長女に同じことを話したら、“でもママがいないのにもう慣れてるから“という返事だった。慣れるまでにはどれだけ寂しい思いをさせてしまったのだろう。

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わたしが仕事をしていることは、日常的にも将来的にも子どもたちのためになる。何より自分自身が仕事は好きで、誇りをもって働いている。ただ、ただ、余裕がなさすぎる。子どもたちと過ごせる時間は後数年。ここにきて、本当にわたしが選んだ道は、いまの状況は、果たして正解なのだろうかと、もっと違う選択もあったのではないだろうかと、悩んでいる。そもそも筐体がポンコツなので、身体的な限界が近い。

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そんなことを言っても、いまさら違う道は選べない。選んだ選択を全うするのみ。せめて自分にできることは何かと考えて、子どもたちのためのリソースを最大限にするために、自分の毎日の生活から余計なものは削ぎ落とすことにした。最優先は子どもたち、次に仕事。大切なものだけに時間と労力を集中投下する。