ドタキャンのハードル

2022年7月19日(火)

いつ頃からか、ドタキャンや無断キャンセルということのハードルがひどく低くなっているように感じる。職場では、採用説明会がオンラインなって以降の無断キャンセルは毎回のように発生しており、採用したひとが連絡もなく出勤初日に姿をあらわさないこともたびたび聞く。なぜか採用試験のキャンセルは律儀に連絡が入るのは、きっと学校などからそういう指導があるのだろう。

わたしたち世代の感覚だと、ありえないことで、せめて一本連絡いれてほしいと思うけど、きっとそこで連絡をいれる必要があるという発想がないのだ、と思う。

*

"約束"という行為の意味が非常に薄れている背景のひとつには、スマートフォンの存在があるのではないかな、と思ったりする。

例えば、友だちとの待ち合わせ。子どもたちに話すと笑われるだろうけれど、わたしの学生時代はスマートフォンはまだ存在せず、PHSや携帯電話を持っているひとも限られていた。自分がポケットベル(子どもたち、知ってる?)を持ったのは大学生のとき、PHSは卒業後、携帯電話は社会人になってから、スマートフォンは親になってから、だ。

携帯電話がないと出先では連絡手段がない。だから事前に待ち合わせの場所や時間を決めたら、余程のことがない限り、その約束を守ることは当然だった。

一方、最近では移動中に連絡がとれることが前提なので、自分自身も、家族やママ友、友人との待ち合わせするときも"大体◯時頃に""到着したら連絡"など幅をもった約束が増えている。

長女の友人との約束の仕方をたまに聞くと、もっとずーっとずーっとアバウトで、ほぼ文化が違う。以前に思わず"それ、スマホが使えなくなったら会えなくない?"と言ったことがある。

*

冒頭の仕事の話。単に事前に"キャンセルする場合、来られない場合は前日までに連絡してね"と伝えておけば少し違うのでは、と思っているのだけど。