残業とオムライス

今日は久しぶりに落ち着いてデスクワークに取り組むことができる日。最近は家庭シフトしていたので積み残しが溜まっている上に、先週来のバタバタで仕事がてんこ盛りなので、予定残業。オット氏とサニスケは出前で夕食することを頼んでおいた。

ガシガシと仕事を終えてヨレヨレになって帰宅すると、なんとテーブルにオムライスが‼︎ 長女が作っておいてくれたという。スクランブルエッグ以外の料理を完全にひとりで作るのは初めてだけど、レシピサイトを見ながら作ったとのこと。残業して、子どもが作ってくれた夕食を食べられるなんて、これ以上の労いがあるだろうか。控えめに言ってサイコーだった。

丁寧な味付け、手をかけて作ったことがわかる卵焼きの上にハート型のケチャップまでかかっていて、本当に本当に美味しかった。食べながら涙ぐんでしまった。

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食後は、我が家にしては本当に珍しいことに家族全員リビングに集まり、一緒にテレビを見るなど。いつもこんな風なら良いのになぁ。

 

 

 

長女と卒業式

今日は長女の卒業式(正式には卒業証書授与式)。最後の中学制服姿を写真撮影,不機嫌そうな横顔も今日の記念。理由は緊張のためと分かったし、いつかは懐かしく見返すだろう。

長女の昼食とサニスケの塾前軽食を用意し,慌てて身支度して,一年以上ぶりに長女の学校へ。久しぶりに足を踏み入れて,色々あるけどやはり良い学校だと思った。

学年主任のお祈りは,サルトルの“人生はB(Birth)とD(Death)の間のC(Choice)だ“を紹介しての卒業生たちへ贈る言葉であり,おそらく参加していた保護者は全員、なぜ先生がその言葉を紹介したのか、そしてその言葉の意味を深く深く噛み締めていたに違いないけれど、肝心の中学3年生もそれぞれに受け止めだであろうと信じている。少なくともいつかその言葉を思い出すときがくることは確実だろう。

卒業証書授与は、各クラス代表1名が壇上に上がり受け取る。そして長女がクラス代表。事前練習は1回だけしか参加しなかったのでどうなることかとハラハラしていたところ、堂々と立派に、一番しっかりとお辞儀をし、作法通りにきちんと卒業証書を受け取っていたので、ホッとすると同時に涙が出そうになった。思い返せば、長女は小さな頃から本番にめちゃ強いのだった。

 例年は終業式と合同で開催され、在校生にも祝われるところ,今年は密を避けるために中学3年生と家庭ごとに人数制限を受けての保護者だけが参加した。聖歌も校歌も歌わずに、例年よりこじんまりしていたかもしれないけれど、その場には真に卒業を祝う人だけが集まっていたので、とても良い式だった。

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講堂を出て帰ろうとしたところで、長女の友人のお母様から呼び止められる。フルタイムで仕事をしてらして、職種も近く、わたしよりズケズケとはっきりきっぱり話されるので、大変に話しやすく、長女校における貴重なママ友。学校のコロナ禍対応について、全く同感だったので、スッキリした。

その後は、職場に直行して、超重要会議での議案説明×2×2。少々強行軍ではあったけれど、長女の立派な姿を見ることがで来たので、参加してよかった。

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そしてあらためて、ポコンたん、卒業おめでとう❗️

 

 

 

制服と復活

今朝は熱も下がり、通常通りに登校したサニスケ。学校でも特に問題なく、帰宅のタイミングで送ったLINEには「大丈夫です」と返事が来た。

サニスケが習い事に行ったので、定時退勤して長女と通院。先週から病院三昧、我が家にしては珍しい。

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帰宅すると長女の高校の制服が届いていた。制服のデザインが少し変わり、見本や写真でみていた限りでは余り変わり映えしない印象だったけと、実物は予想より可愛かった。長女が試着したらさらに可愛い(親莫迦)。

新たなスカートには裾上げをさせない工夫がてんこ盛りで、長女は早速何とか短く見せるために悪戦苦闘。何が何でも丈を短くしたい生徒VS何が何でも丈を短くさせない先生、という構図に笑ってしまった。中学時代の制服も含めて、多少組み合わせが可能になったらしい。

スカートの丈については、長女は小さい頃からの習慣でスカートのなかには短パンかスパッツを着用してる(はず!)ので、あまり目に余るときには指摘するけど、それ以外は本人の判断に任せている。

リボンの色も変わり、長女がほんとうに高校生になるのだなぁと感慨深い。えーと、自分は高校生の親になるのか……。

サニスケと発熱

今朝、長女が登校し、サニスケはだるそうにしながらも登校準備をして、健康チェックカードに記載するための検温をしたところ、“え?“と本人がびっくり。“どうしたの?“と聞くと、“37.8度なんだけど…。もう一度測ってみる“と再度検温しても変わらず。他の体温計で測っても37.5度あったので、欠席確定。学校と職場に休みの連絡を入れる(今年になって以来、家庭事情での時間有給休暇、勤務変更が相次いでおり、それを許してもらえる環境に感謝しながらも、申し訳ない)。

サニスケはただ熱があるだけで、他の症状はない様子。表情もしっかりしている。でも熱があるのは事実なので、一緒に布団へ戻った。

結局、サニスケは途中で何度か起きて用意しておいたおにぎりを食べたり、活動した様子だけど、わたしは爆睡。起きあがろうにも身体が動かない。昼過ぎにようやく身体が動くようになったときには、“寿命が繋がった“感があった。てんこ盛りの仕事はさておき、結果的には救いの休みだった。

午前中授業だった長女が帰宅して、昼食を食べながら“ひとりで食べるよりいいな“とつぶやいていたので、胸が痛んだ。ようやく少し生活リズムも落ち着いてきたのに、また春休みか…。

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午後になってもサニスケの熱は下がらないので、かかりつけのベテラン小児科に事前に連絡した上で受診。一目見て“喉が真っ赤よ“と言われて、コロナの症状はないので念のためにインフルエンザの検査をしましょうと言われたので、わたしの職場を話したところ、“抗原検査なら同時にできるから、やっておく?“と言われて、インフルエンザと新型コロナウイルス抗原検査検査を同時に実施。しばらく隔離室で待たされた結果、双方ともに陰性。単なる風邪と診断されてホッとした。

健康なときも具合が悪いときも子どもの様子をずーっとみているから、何か心配な状況なのか、そうではないのかというのはなんとなくわかる。今回も感染症ではなく、おそらく先週後半から疲れが出ていたところに昨日の夕方の遅延騒動で寒いホームでしばらく過ごしたことで風邪をひいたのだろうなとは思ったものの、でもきちんと検査を受けて確定診断を受けると、とても安心する。

付き添いの日曜日

今日の午後はサニスケのテストの付添。午前中は突貫対策の続きをやって、早めの昼食を用意して出発。会場に送り込んで、ファミレスに腰を落ち着けたら、漸くひと心地がついた。

待機中は、読書をしたり、学校情報をまとめたり、塾の入試分析動画を視聴したり。今日見たのは概要版、ほかに各教科版があるけれど、今年の結果がどうでも、傾向がどうでも、我が家の取り組みの方向性が変わるわけではないので、これ以上は見なくても良いような気がする。

充実かつリフレッシュの待機時間を過ごして、終了時刻にサニスケを迎えたところまでは良かったけれど、駅に着いたら改札に人だかり。どうやら電車が運転見合わせしているらしい。ホームに降りたら、反対方面に入線したので、いずれその車両が戻ってくるだろうと待っていたけど来ない。あきらめて改札外のファミレスに戻ろうかと思ったら、運転再開のアナウンス。喜んだのも束の間、隣の駅まで動いたところで再度停止。今度は現時点では復旧の見込みは未定と放送が入ったので、生まれて初めて乗る路線で大回りして、通常の倍以上の時間をかけて帰宅。サニスケが状況をよく理解して、ひとことも文句も不平も言わなかったことに救われた。

実はテスト開始前は、待機時間中に数駅先に移動しようかと思っていたのだけど、結果的には移動しなくてセーフだった。やはり子どもの付添の時には会場の徒歩圏内で待機する自分の原則は曲げないようにしよう。

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夕食はあらかじめオット氏に頼んでおいたので、帰宅したらシチューができていて助かった。テーブルブーケとお菓子ももらって、今日が何の日か思い出した。ここは素直にありがとう。

 

 

土曜授業と予防接種

今日は仕事は休みだったけれど、長男が土曜授業のため通常の時間に起床。長男は今日の授業で起震車体験の予定だったのが雨のため中止となってしまい残念。そのうち防災館に一緒に行こうか。

サニスケが学校に行っている間、長女を予防接種第2回に連れて行く。水曜日の夜に習い事の階段を踏み外した際の捻挫はだいぶ良くなってきたようだけど、大事をとってタクシー。思い返せば保育園時代はタクシーを頼むことがとても多かった。予防接種はサクッと終わり、次回は7月の予定。

時間があったので、近くのカフェでモーニングしながらおしゃべり。この土曜日は長女の機嫌が良くて、夜までたくさん話してくれたので嬉しい一日だった。

帰宅して、しばらくするとサニスケも帰宅。早めに昼食を済ませて、午後イチでサニスケの塾のオンライン保護者会。とはいえ、肝心要の説明を居眠りして聴き落とすという痛恨のミス。いやもうホント、これ困る。退屈とか集中していないとかではなくて、集中していても抵抗不能な凶悪な眠気に意識が持っていかれて、記憶が飛ぶ。まるで脳がリミットで回線切っているような感じで落ちるのだけど、困ったなぁ。

その後は、明日のテストに向けてサニスケの突貫勉強サポート。こんな付け焼き刃ではなくもっと落ち着いて勉強させてあげたい(勉強するようなコーチングをしたい)けど、これがわたしには精一杯。

綱渡りの日々

今週はそもそも一年で三本指に入るくらいのタイトな仕事スケジュールだった。その上、最近は家庭にシフトしていたので、業務がかなり押している状況だった。

水曜日の夜、長女が習い事先の階段を踏み外して腰を打って足が痛いと言って帰宅した。

木曜日の朝、長女のことは気になりつつも本人は午後から登校だったので、通常通り出勤した。時計の針と競争しながら、午後の会議の資料を作成していたときに、長女から“足が腫れて歩けない“と連絡があった。午後の会議が終了後、速攻で帰宅して、タクシーで病院に付き添った。レントゲンの結果、骨に異常はなく、ひどい捻挫という診断になった。不幸中の幸い。

薬局により帰宅して、長女の希望によりマクドナルドからUberして、一緒に食べながら色々話すことができたのは怪我の功名。ずっと話していたかったけれど、職場に戻って抜けた分の業務を進めた。

金曜日の朝、起きてきたサニスケが“頭が痛くて気持ち悪い“とソファにぐったり横たわった。

検温すると平熱だけど、定時に登校はできそうにない。わたしは朝イチで自分が議長の会議があり、さらに今日が締切厳守の資料作成の業務があり、どうしても休めない。オット氏はとっくに出社した後。

サニスケに、“ついていてあげたいけど、どうしても仕事に行かなくてはいけないから、○分になったらいくね。行かれそうなら一緒に出よう?“と話したところ、“自分で休んで元気になったら登校するから、仕事に行っていいよ“と言ってくれた。事情をモルモルに連絡したところ、○分に来てくれて、交代。ただしモルモルも仕事があるので、長時間は無理。それでもサニスケは心強かっただろう。モルモルも仕事に出た後、11時頃に“行く“と連絡がきて登校したサニスケ。えらかった。

本日が期限の資料は、ギリギリ、本当にギリギリ宅配便の回収に間に合った。上司や後輩チームに少し迷惑をかけてしまい、申し訳なかった。

保育園時代は日々之綱渡りの毎日だったことを久しぶりに思い出した。子どもたちにしてあげられることがあるうちが花なのだと思う。

 

10年目

2021年3月11日付毎日新聞朝刊の余録に引用された東京電力福島第一原子力発電所の吉田元所長の証言を読み、東日本壊滅を避けられたのは間一髪だったことを改めて実感し、月並みな表現だけど背筋が凍った。

あれから10年が経ち、当時5歳だった長女は15歳になり、0歳だったサニスケは10歳になった。我が家だけではなく、世界中の誰もが等しく10歳の歳をとった。亡くなられた方以外は。合掌。

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10年目の今年は報道も格別に多かったように感じる。番組のひとつを見ているときにサニスケから“このあたりはどうだったの?“と聞かれたので、当時の様子を伝えた。今回一緒に見た番組が少しでも記憶に残ることを願う。

毎年この時期に思うことは去年書いた“いかにして安全サイドに寄らず、過剰反応もせずに、適切な判断をできるのか“ということである。でもわたしは未だにベッドサイドに靴を置いていないし、避難リュックもきちんと用意していない。食料のローリングストックはある程度心がけているけど、飲料水は確実に足りない。備えられることはいくらでもある。備えていないこと自体が安全サイドに立っている証だ。

震災が発生してから悔いても手遅れになる。10年目の今年だからこそ、すぐに備えよう。

 

fuchikoma.hatenablog.com

 

長女と日帰り修学旅行

もともと昨秋に予定されていた修学旅行が延期となり、さらに日帰り旅行になり、その時点の日帰り旅行は3か所から生徒がプレゼンをして投票して決めた場所で、長女は自分たちがプレゼンをした場所が採用されたと楽しみにしていた。ところがその日帰り旅行が2回めの緊急事態宣言で中止となり、最終的にとある水族館の半日見学となった。

今朝出勤するときに、まだ寝ていた長女。このままだと絶対に起きられないだろうなと予測できたので、どうしようかと迷いながら、アラームを大音量でセットして部屋に置いておいた。結局、やはりそのアラームで起きられて無事に集合時間に間に合ったらしい。よかったよかった。

 

サニスケと保護者会

今日の午後はサニスケの学校の保護者会があった。他の学年は初のオンライン保護者会だったけど、6年生とサニスケの学年は対面開催とのことで、午後有給休暇を取って学校へ。コロナ禍で授業を見学する機会がない上に、体育館での開催になってしまい、教室の掲示物を見られなくなくなったのは残念。サニスケの学年は落ち着いているからあまり問題はないけれど、授業参観もなく教室にも入れないとクラスの実際の様子は皆目わからないので、学年崩壊していた長女のときだったら大変なことになっていただろうななどと思う。

保護者会では先生のお話の後、保護者ひとりずつのコメント。毎回だけど苦手。2分の1成人式ができないので、と、子どもたちがそれぞれに書いた将来の夢の木が回覧される。最近、サニスケが“将来なりたいものがわからない“とぼやいていた理由が判明した。長女を見ていても思うけれど、最近はキャリア教育が随分と強化されている様子。一概に悪いこととは思わないけど、そんなに子どもたちの将来を職業と直結しなくても良いのでは、とも思ったりする。好きなことを仕事にすることには幸福と同時に辛さもあるし、生活の糧を得ることと、自分の人生は分ける生き方もある。世界はもっと多様だ。

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夕方に、長女の保育園ゼロ歳児以来の盟友と言えるママ友と会う。交互にお茶を飲みながら、マスクをつけての会話。それでも2年ぶりくらいの再会で、懐かしい。ひとりはフルリモート、もうひとりはハーフリモートで、フル出勤はわたしのみ。コロナ禍で、少なくとも働き方はだいぶ変容した。

お子さんは2人とも中高一貫校。ひとりは順調なようだけど、もうひとりは登校こそしているものの長女と同様に“何も楽しいことがない“と話しているらしい。コロナめ。

休校中の対応や、時差登校等、学校により対応は千差万別。長女校は、“通常通りを維持すること“に固執している感は否めないなぁ。